『言葉なき政治の貧困』内田樹はおもろいが問題だ(後篇)

5.公人は「推定有罪」
まず内田氏は言う。公人は「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」を守り、「推定有罪」の心構えでいなければならない。それがいやなら公人になってはいけないと言う。その根拠は税金の使い道を決められ、個人情報を占有できる公人の有利さとトレードオフされる「不利な条件」として納得すべきものである、とする。


だから「西松違法献金事件」で小沢一郎が使った「どれほど端から見て疑わしく見えても、私は自分が潔白であることを知っている」というレトリックは使用禁止事項だと言うのだ。


これを言った小沢一郎は政治家として公人の頂点に立つ資格はないと断定する。なぜならこのレトリックを使えば、日本の公務員全員が同じようなことを言い出して、不明朗なことを潔白だという権利を手に入れてしまうからだと。


わたしはこの論述は道徳一般論に解消し、無媒介に法律論への越境だと思う。
そんなことを言い出すと、政治家は虚偽の噂や冤罪でも即社会的ペナルティーを受けて、全てを剥脱されるべきだという魔女狩りを容認することになりはしないか?

政治家は、「法以前に道徳たれ」というテーゼは解る。しかし、内田氏が言う「西松違法献金事件」は、内田氏が考えているような道徳的にも法的にも従来当たり前に許されていたことを、ある日突然違法行為だと言われた事件である。内田氏が誤解しているのはその呼び方でもわかるように「西松違法献金事件」ではなく「西松献金虚偽記載事件」なのである。


献金そのものが違法ではなく、記載方法が従来指摘されたら返す、訂正申告するということで許されていた問題である。記載については、献金者を記載するのかその元の資金提供者を書くのか、それは法務省も検察局も不明にしてきた。つまり自分で考えて書け、といってきたわけである。


それを今回は元の資金提供者を書かなければ違法だと突然言いがかりをつけた。それもこれまでの慣例的方法は認めないぞと唯一小沢一郎にだけ適用したわけだ。他の与党政治家も同じことをしていながら不問にされているわけで、これは明らかに法律論の範疇ではないか。


このメディアが捏造して小沢叩きをした問題点を、元検事の郷原信郎弁護士が、保坂展人議員の「裁判員制度を見直せ」というシンポで改めて口頭説明(YouTube)しているから、内田氏はよく聴くがいい。ことはそれ程単純な話や比喩で済ませられる内容ではないのだ。(このURLは訂正されており、正しく動画が開きます。保坂議員のトラックバックが承認制になっていましたので、ひらきませんでした。)    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=GfNVjHittRw

仮に内田氏がそれをも道徳的に「李下に冠を正した」から失脚すべきだというなら、森も二階も失脚すべきであり、西松建設以外の献金で同じ手法をとっている政治家は全て失脚すべきである。与党議員など半分もいなくなるだろう。


わたしには、内田氏の口吻を真似れば、李下に冠を正したのは正義を体現するべき検察の方だったように思う。


わたしは、何度もこの献金虚偽記載事件を書いてきた。
それは小沢を弁護することでも支援することでもない。内田氏と同じく「あいまいな情緒的反応」が国民病だと思っているからだ。つまり原理的ないし原則的にものを判断するということが求められている場面で、与党権力とメディアが情緒的判断を煽り、国民が雷同する、こういう国民病理は、一小市民が冤罪に巻き込まれたような場合社会的抹殺が起こりうるという危機感からである。


内田氏が先に述べたように、政治家は本当の自分なんか理解されなくてもいい、邪悪であっても虚偽の人格を見せても政策実現能力が高い方がいいのだ、ということとも矛盾するではないか。


今政権与党権力の委託を受けたマスメディアの小沢一郎下ろしキャンペーンの中で、内田氏が小沢を引き合いにだして言うのは明らかに意図的に思えてしまう。小沢はなんやかや言いながらまだただの野党党首に過ぎない。麻生と小沢を共に両断することで、無言の「客観性」や「中立性」を演出してしまっている。このへんが、大学リベラル派が、所詮カルチュラルスタディーズの範囲でしかないのかと残念に思うところだ。


内田氏が知らないなら、現に権力を誇示している鳩山邦夫総務大臣のもっとえげつない献金問題を検証しょうか。週間ポスト4月某日号らである。


鳩山大臣は、政治資金管理団体新声会を持っている。ここへ母親安子と実姉井上和子がそれぞれ個人献金額の上限150万円を献金している。これは問題ない。
しかし、ほかに鳩山邦夫後援会、新政策科学研究会、鳩友会の3団体を持っている。この母親と実姉がこの3団体へさらに150万円ずつ献金しており、合計900万円もがこれらを迂回して新声会へ流れこんでいる。


しかも、この3団体は住所も同じでフロアーも一緒。会計責任者はすべて同一人物である。


さらにこのうち2団体はこの親族二人の他に年間を通じてだれも献金実績がない。あきらかに献金をするためにわざわざ作ったことが推測できる。
これは明らかに献金を装った税法上の「贈与」ではないのか?
900万円の贈与だとすると、贈与税191万円を脱税したことになり、そうでなくても明らかに個人の上限枠を超えて規正法に違反している。


検察はこういう現職の大臣は配慮するということのようだから、鳩山が大臣でなくなった時点で逮捕かもしれない。ようく注視が必要である。
鳩山兄の方も、過去同じ方法をとっていたが、問題があると認識してから止めているとインタビューに答えている。


ほかにも小泉、武部などは、50以上のトンネル献金団体をもってマネーロンダリングをしているという情報もある。


内田氏の解り易い比喩や比較文化的方法からはことの本質は脱落してしまうのである。
疲れた、つづく。