日本の貧困率 先進国で際立つ
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以前日本の厚労省は貧困率さえもデータをとっていないと批判した。
やっとでてきた。出てきただけでも長妻、山井両大臣はよくがんばった。
しかし、なんで06年なのだ?国勢調査時点しか出しようがないというのか?納税額からいくらでも直近のデータがとれると思うのだが?
金額では、所得分布の中央値の半分以下が該当するということで、中央値が年収228万円だから、114万円以下ということになる。
例えばの話、都会に出てきた学生が仕送り10万円をしてもらって、学費から不足生活費の全てをアルバイトで賄うという生活に相当するのではないか?
月15万円は欲しいだろう、すると不足は月5万円で年60万円だ。それに学費が国立としても100万円はいる。合わせて160万円を稼がねばならない。
ざっとバイト収入が月13から14万円ないとやっていけない。 これはれっきとした派遣社員や介護ヘルパーなどの給与ぐらいに相当する。
こういう生活をしている学生、若者、労働者だけにこの問題への発言は許されると考える。
なぜなら貧困は、貧困になった者しかその無残さや悲哀を理解できない種類のものだからだ。
痛い、熱い、悲しい、嬉しい、など日常体験からくる一般的感情はだれでも共通体験として理解できる。
しかし、貧困の人格的荒廃と無残さは体験したものしかわからない。
誰もが似た共通の感情は、自然的存在としての人間が感じられる範疇にあるので、万人の共通体験として取り出せる。
しかし、貧困は社会化された人為的に造られた体験であるため、金持ちにもまあまあの平均所得のひとにも共通の体験として取り出すことが困難である。本人たちにしか解らない感情なのだ。
従って、貧困問題を論じるには、先に想定した立場のような貧乏学生や派遣社員自身か、想像力豊かな貧困者に限りない愛情を持った者か、はたまた極めて論理的に貧困層の増大が社会の安定化のリスクになるといったような厳密に学的認識での論証が可能な専門家以外、親身になって考えないし、論じても説得力を持たないと知っておいた方がいい。
日本では、貧困が社会問題になるほど深刻ではないなどと言い放った竹中平蔵などはそもそも論じる資格がなかった。
貧困問題が往々にして見過ごされ、政府機関の政策から零れ墜ちていく傾向があるのは、関係者(政治家・官僚・マスコミ)が皆そこそこの金持ちで貧困の感情を共有できない人たちであり、また社会的リスクを体感するところから最も遠くにいる人たちだからである。
ネットでも、軽々しく貧困対策に対して否定的な批判を言うなかれ。
批判するあなたより、貧困問題を片付けようとする長妻大臣の方がいくらか貧困者に愛情をもっているか社会的不安を取り除こうという認識をもちえているわけだから、それを妨害してはいけない。
つまり、親の脛をかじって悠々と学生生活をエンジョイしているキミや、運よく大企業に入れて並のリーマンしている凡人や、いまだに会社が倒産せず勤めることができている中小企業のおとーさんは、黙って見守ることである。
政府や専門家の貧困対策への批判を公言できるのは、年収114万円以下の人だけである。 そうでない裕福な人たちは、ひそかに自分は貧乏人でなくてよかった、自分には関係ないことだと黙って長妻大臣や湯浅参与の政策をみていればいいのである。
そうはいっても将来治安の悪化を招き、町も歩けないのは困るぐらいの想像力がはたらくなら、政府の貧困対策は生ぬるい、もっと徹底してた貧困撲滅対策をとるべきだという方向での意見具申だけが有効だと識るべきだ。
(追記)
これと似たようなデータがないためおかしな話になっているのが財政問題である。
財政赤字だと財務省は騒ぐが、それは母屋の税収だけで、官僚の既得権益化している別立ての特別会計を合算すれば40兆円の黒字なのだ。
これは偏に複式簿記化を拒んでいるためである。
先進国で未だに単式簿記でやっているのは日本ぐらいのもの。
また近日中にこれは論じたい。