エコロジー/「はこべ歯磨粉」と安田ビルのすばらしき芸術家たち!

「はこべ歯磨粉」をどうしても欲しいとS女史が言うので同行する。なんでも不純物を含まない純正歯磨粉とのこと。


靭公園の北側の路地を西に一歩入るとレトロなビルが静かな佇まいをみせている。調べると1934年の竣工らしい。雰囲気のある外観に往時を偲ばせている。


一階がギャラリーで、恐る恐る入ると、恰幅のいい長髪の見るからに自由人というか芸術家というか社長というか、何者か特定しがたい人物(失礼)がにこやかに応対してくれた。


その辺にあった目的の「はこべ歯磨粉」を無造作に置いてある中から一個だけ袋に入れて渡してくれる。
ギャラリーで歯磨き粉の販売かい?なんか変な感じ。


得体が知れないからとりあえず社長と呼んどけば無難だろうと咄嗟に社長と呼びかける。
社長が自分で作っているの?と訊くと、いや知り合いの社長が趣味でやっているとカンラカンラと笑う。


せっかくだから、展示の絵を見せてもらうとこれが素晴らしい。
明るい淡色をベースにしたとても詩的な情趣をかもしている。全てに白を混ぜて色を作るのがこの作家の特徴だと社長が解説してくれる。作家の名前は聴いたが失念した、すいません。有名な方らしい。


社長が今の若い画家の絵がよく解らない、ほとんど評価できない時代になったと嘆かれたので、わたしも詩の世界でも同じような現象が起きていると話すと、社長は嬉しそうに益々乗ってきた。
わたしは、吉本隆明の受け売り−若い詩人が自然を描けなくなっているため、主観と客観を同時にしっかり込めた喩というものが弱まって、時代を象徴するような(神話的な)心性を表現できていない、とにかく理解しがたいものが多いというようなことを言うと、社長はますます感懐深げにうなずく。


こうして社長と意気投合して、一気に旧知のように仲良くなった。
すると、社長がちょっとビデオみますかと言って、部屋の隅の液晶画面に誘い、同時にこの人がモンゴルでこの間撮ってきたものだと言う。
この人というのが、古武士の風格の写真家長島義明さん。わたしは写真家といえば木村伊兵衛森山大道ぐらいしか知らないから、かなり実績も名もある方だとは終ぞ知らぬまま気軽に喋った。還って来て調べてビックリ。有名人なのだ。


モンゴルの果てし無い大草原を数台のランドクルーザーが疾駆する。
と、狼が一匹飛び出してきて、その追跡劇が開始されてとうとう狼は走るマシンには敵わずに仕留められる。それだれを延々と廻しているのだが、爽快さと迫力のある映像だった。


あくまで私的に友人に招かれ、このVも今のところ公に放映予定はないとのことだった。少しもったいない気がする。


観ている間、社長は気をつかっくれて、おいしい紅茶にウイスキーをなみなみと注いでくれた。ウイスキーの瓶を抱えて、いかにもこのまま酒宴でも開きたいという素振りであった。


長島さんの活躍を尋ねているうちに、かつてアフガンがまだ平和だった頃、あの爆破される前の大石仏群を撮影した有名な写真があると知った瞬間、わたしは週刊誌に載った一連の写真を鮮明に思い出した。確認するとはたして間違いなく長島さんの作品であった。


また90年代後半ソ連が崩壊する少し前に、キューバカストロ首相を撮影したとも言われた。帰ってきてネットで撮影のエピソードを読んで仰天した。ひょっとするとカストロの面前で警護官に射殺されていたかもしれないのだ。作品はカストロの茶目っ気のある表情と、わずかにぶれて動的な緊迫感のある佳作である。一瞬のシャッターチャンスに命をかけているカメラマンの中のカメラマン。


三人は同世代の青年のように紅潮していたように感じられたのは、わたしだけだっただろうか。
想わぬ素敵な時間を持てて、ただ嬉しかった。


近々長島さんの個展を開かれるとのことなので、鑑賞に伺うことを約束して別れた。
S女史もオヤジたちの世界に根気よく付き合ってくれた。感謝。


最後に、やはりこの社長は間違いなく画家で画廊のオーナー松井弘道社長でした。チャンチャン