菅総理の「脱原発−段階的再生可能エネルギー方針」を歓迎する

PCが壊れて思うように記事をアップできないうちに、震災復興や原発鎮圧に関して政府・行政・電力会社のダッチロールをみせつけられた。

そのなかでも、松本龍興大臣のあっという間の辞任劇は、いまの政府の人材不足と政治の劣化を象徴していた。
小沢一郎を支持する単純保守派は、後付けで彼を擁護する言説がみられたが、深読みと牽強付会がすぎたようだ。
彼は対米追従新自由主義の村井知事を潰そうとした英雄に祭り上げたかったようだが、多くの良識人は政治家として最も大事な言葉の使い方を問題にし、むしろ保守派の国土復興のリーダーシップを潰しことを残念に思った。

わたしもツイッター上では、小沢一郎を支持し、陸山会事件を不当弾圧と指弾してきたが、小沢妄信者のこうした「左翼的偏執」には辟易した。

福島原発事故後、日がたつにつれ原発マフィアの嘘が露見してきたが、一方で巻き返しも激しくなった。
特に電力会社の停電をしかけて原発の必要性を脅迫する態度は、まさに優良企業が一皮むけば文字通りマフィアであることを印象づけた。

電力は十分足りているというネット言論の常識とは別に、マスコミはこの恫喝を垂れ流し、節電ファシズムの夏を迎えている。

ところが、一昨日12日のテレ朝報道ステーションの単独インタビューに応じた東電西澤新社長は、東電の電力は十分足りており余った分は不足気味の西日本へ融通したい、と述べたのだ。
東電管内の自家発電は1600万キロワットであるのに対して、東電が買い取っているのは160万キロワットにすぎないとも。
恐らく、埋蔵電力というものの買い取りシステムは企業同士のよしみで進展させる方が得策と考えたのかもしれない。

なにしろ六本木ヒルズの自家発電力を東電に提供しようとした話を蹴って計画停電を実施したことに顰蹙(ひんしゅく)をかったことも周知の事実だからである。

わたしは、新社長は、東電の防衛ラインを発送電分離の前で、すなわち地域独占を維持し続けるところに置いたのではないかと読んでいる。
そのためには、大方のことは柔軟に対応するが、なんとしても発送電分離によって、企業が崩壊することは止めようという深謀遠慮だろう。でなければこの従来と180度異なる発言は分裂病でしかない。

そして、昨日の菅総理の新エネルギーへの転換方針が発表された。
賛否両論だが、わたしはこれは素直に歓迎していいと思っている。自民党公明党政権では、恐らくこうはいかなかっただろう。民主党の本来の美点がでたといえる。

反対派は菅総理の今までの悪行と指導不足を梃子にこの方針までも批判したいのは解らないでもない。しかし、総理が最もプライオリティーの高い問題に、国民の7割の脱原発意思を取り込んだという点で、この方針は方針として評価されなくてはならない。

問題は、菅総理の賢明な方針が、現実化され、権力の物理的強制力として原発マフィアを解体に追い込むことができるかどうか、である。

そのためには菅総理は早く辞任し、自己保身と総理大臣への執着でないという、つまり私心を捨てている姿勢をはっきりしめすことである。つまりメタ言語によるメッセージを強烈にだすことで、反対派をふうじこめてしまうことである。

菅総理は、人身掌握、セクト主義、実務能力、取り込むより排除が先行する姿勢、これら一年の身のこなしをみていると大業を為す器ではない。
この大役はやはり小沢一郎しかいないのではないか。

菅総理が私心を捨てて、本当に国民のための施策にしようと思えば、おのずと人材がみえてくるはずだ。あるいは人材が寄ってくるはずだ。組織や世の中はそうしたものである。
どう考えても、枝野や前原や岡田では務まらないことがわかるはずだ。

菅総理の方針は歓迎しつつ、この一点がわかっているかどうかが心配である。


さて、わたくしごとでもいろいろあった。

西研先生ご指導の現象学研はレヴィナスが終わり、次からはプラトンへ。
以前からプラトンを期待していたので、大歓迎。これからは真面目に取り組みたい。

精華大の学生の「吉本隆明読書会」がスタートした。若い人達に急激に読まれなくなったが、依然吉本の提起した問題群はそのままであり、歓迎し期待するところである。サポートはN先生であるが、声をおかけいただき嬉しく思っている。わたしも出来る限り参加したい。

ときを同じくして、先輩の津森和治氏が、三度の吉本隆明氏との対談をおこなった由。
まもなく雑誌『ニッチ』へ載る。楽しみである。

では密かにご訪問いただいている方々に深謝申し上げ、ご自愛の上灼熱の夏を乗り切っていただきますよう祈念しております。