■小熊英二の『1968』(新左翼・全共闘もの)への違和感

小熊英二の『民主と愛国』も『1968』も少し読み始めたが、こりゃあダメダとすぐやめた。

どこがダメかは、小熊がかけたエネルギーと労力に見合った程度に、相応の批判でなければ失礼だから、今書きなぐりの安易な批判もできないなと思っていた。

しかし、そうこうしているうちにあちこちに小熊を通して、全共闘運動を事後的にトンチンカンな論評をしたり、小熊の結論らしい「自分探し」の運動だったとかという通りのいい話が蔓延していきそうになって、危機感を募らせた。

そこで、取り急ぎの対処として、両著作への正統的な批判論考をここで紹介しておくことにする。

それ以外にも、小熊の歴史家としての問題点を指摘した論考も掲出しておくので参考にしていただきたい。
■内海信彦 
2019.7.13
https://www.facebook.com/nobuhiko.utsumi?__tn__=%2CdCH-R-R&eid=ARB__DOpXkLArvooJE2kHb-Qe0QzFKTRnCNXVAVU1QCB5s1QjXjAm6NhpJ6xGoNBt21WwIPW965KHcs4&hc_ref=ARSkLWyTpPWhpj-u1yp88dl0WPtTWZRxrvG8ENIMV22PB8rBFlkLsl8LQPUGliBwNU4&fref=nf

小熊英二について二年前に書いた文です。慶應義塾SFCを受ける受験生が、あまりに無知なのでまた書きます。SFCで教える友人に聞いたのですが、私の書いた文を読んでいる教員が他にもいて、同感だと言っていたそうです。だったら直接言ったらいいじゃない…ね。

私は彼、小熊が嫌いということはありません。好き嫌いではなくて、批判しているのです。出版社の企画で、彼と会って対談したのが2000年頃でした。私の本は私が鬱になり、没になりましたが。

彼は革命運動の活動家ではないし、彼は講義と講座と専門課程の教育を受け、コネがなければ入れない岩波編集者を経てSFCの教員になるまでは、革命運動も社会を根底から覆す社会変革にも関わらないまま、3・11後に安全地帯をチョロチョロし始め、社会を変えるといいながら、自己変革もないまま自己形成を経ずして、1960年代後半の学生反乱を書物と文献で調べた結果、己の短小な政治意識に現実をねじ曲げて偽造に精を出したことで、ありもしないことを書き連ね、過去に無かったことと在ったことを書斎で創作したと思います。

そうではないと言うのは自由です。ただし小熊英二を評価している元東大全共闘で、今では転向して集団的自衛権まで肯定しているような東工大の橋爪など、過去の不都合な真実を歪曲する顧客には重宝がられています。同志社出の外務官僚佐藤優などは、小熊英二の『1968年』は公安関係の分析に近く…評価できるとまで有り難がられています。これは大きな問題ですよ。
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1962年生まれの小熊英二は、1960年代の学生反乱に劣等感を抱き、コンプレックスの裏返しの敵意を露にして、学生反乱をねじ曲げて偽造してきたことは、私のようなものでも何度か書いてきました。若い皆さん方には、こういう歴史修正主義者の歴史の偽造に、くれぐれも騙されないようご注意申し上げます。

しかし、これまで60年代後半の学生反乱に偽造を加えてきた歴史修正主義者である小熊英二が、今朝の東京新聞で嘘の上塗りを行い1960年安保闘争について、恥知らずな大嘘を書いています。これは編集記事ですから、東京新聞もこういう歴史の偽造に加担するんですね。東京新聞も新九条論を煽った経緯もあり、勇気ある記者が存在する反面、新九条論という改憲別動隊を支える勢力も内部に抱えています。ですから、この小熊英二の60年安保闘争の偽造は、大きな誤報であるばかりか、政治主義的な背景があると思います。

「六十年安保闘争で国会前に来た三十万人は、ほとんどは労働者や学生の組織。(原発)事故以降のデモには、…老若男女あらゆる人々が集まった。」

自称秀才坊やちゃん、嘘をつくんじゃありませんよ。たださえ悪評高い慶應義塾SFCも、こんな嘘つき教授に何を教えさせているんでしょうか?

私は7歳の時、絵描きの叔母に連れられて60年安保闘争に参加してる生き証人です(-_-;) ほとんどは労働者や学生の組織…冗談は止しなさいよ。7歳の私も目撃したあの光景は、革命前夜でした。6月15日、首相官邸に孤立し恐怖に怯えて、自衛隊出動を命じながら、赤城宗則防衛庁長官は、自衛隊を出せば革命が起きるとまで言わしめたのです。労働者や学生の組織だけで、革命情勢が起きますか?

最今の警察呼びたい化した若者グループが、参加者を取り締まり、警察の代わりに参加者を尋問しているようなことはあり得ないことでした。こわもての保護者に守られ、改憲論者のリーダーに率いられた若者グループと、過去を安直で稚拙な歪曲をされては、歴史の偽造では済みませんよ。

1960年安保闘争、あれは革命情勢です。暗雲が空を覆い、黒い雨が降りしきるあの日のことを私は忘れません。だから、見たこともないことを資料とネットで妄想して作話を書き連ねる、小熊英二のカンナ屑より軽い思想性と、己の短小なコンプレックスで過去を自慰的に弄ぶ浅薄な態度を批判するのです。一度、対談したことがありますが、上から見下す秀才ごときに慣れている私も、ちょっと見たことがない劣等感の塊のような小心者でした。  

6月15日、私も含めて近所の子どもも安保反対、岸を倒せのデモをやってました。安倍晋三もうちから3キロ位離れた岸信介邸で、岸を倒せのデモごっこでした。労働者や学生の組織は強固でしたが、労働者の大半は日本社会党・総評の議会主義的な日和見主義を乗り超えた民衆です。侵略戦争が敗北して15年しか経っていない1960年とは、革命情勢です。誰もが怒っていたんです。

デモに直接参加していない市井のおじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃん、子どもたちも、憤っていたんです。小学校でも騒然としてました。先生も戦争がまた始まると言っていました。今の若者グループのように家族帝国主義とも闘わず教育学園闘争など皆無な現状とは大違いです。

30万とは、国会前のことで、東京駅、有楽町駅、新橋駅、渋谷駅から動けない位ほどの民衆が、幹線道路に満ち溢れていました。国会のみならず、岸信介がいた首相官邸全学連主流派は、議会主義と選挙運動に革命のエネルギーを散逸させて戦後革命を敗北させた日本共産党から除名されています。日本社会党・総評そして日本共産党は、巨万の民衆が自然発生的に燃え上がらせた革命の火を打ち消し、統制と秩序の維持に努め、議会政党のカンパニアに巨大なエネルギーを消耗させました。戦前・戦時中の戦争協力と、戦前の集団転向・天皇制への加担を、敗戦後不問として、転向者の多くが寄生左翼となり、東大出のエリート指導部の官僚統制下で、戦後革命を裏切り、沖縄を代償にした天皇制を肯定して来た左翼組織のスターリン主義を乗り越えようとしたのが、60年安保闘争の背景です。

小熊英二の言説は、トロイの木馬・新九条論の系譜に属していて、現状肯定的な生活保守の改憲別動隊だと思います。若者グループのリーダーも、早くから自衛隊容認の改憲論を公然と語っていました。安倍晋三の九条三項改憲案は、新九条論者の自衛隊容認論と全く同じ改憲案です。小熊英二への個的な批判だけではなく、小熊英二が過去をねじ曲げて、労働者や学生の組織を矮小化しながら、逆に今日、天皇退位特例法にまで翼賛して体制内右傾化する議会政党の、陰険で組織的統制にはずいぶん寛容です。

1960年安保闘争については、ぜひ大島渚監督の『日本の夜と霧』をご覧ください。今はファシストに腐りきった津川雅彦だけ我慢して。

四方田犬彦×平沢剛「複数の1968年のために」(図書新聞)
 四方田犬彦・平沢剛編纂の『1968年文化論』(毎日新聞)出版に際しての対談である。
まず四方田は指摘する。

「もしかしたら活字にする価値はないかもしれないと自分では思っていても、その人にとってはかけがえのない体験をもっているはずだ。つまり無名の人間のになってきた68年の記憶がある。しかし小熊は彼らの誰一人の声にも耳を貸さず、文献資料を恣意的にモンタージュすることで、虚偽の書物を作り上げました。」
それによって、「私の危惧するのは、ヴァナキュラーな声だけを粗雑にかき集めて構成され、社会学という学問の枠組みに庇護されたこうした特権的な「声」が、放っておくと公式的な声になりかわってしまうことです。将来的には1968年を直接しらない若い世代が教科書のように読んでしまう。」

平沢は、「(小熊のような)修正主義的な学問的なアプローチにも、経験主義的な特権化にも距離をとるものをどう出していけるかという課題は非常に大きい。」と述べて、一冊の書物などで「表象代行することを拒否する」と言う。それこそが、まさに「68年的」可能性であったはずで、そうであるなら、研究方法もそうでなければならないと指摘。

「反小熊」的68年論としては、最も正統的で、当事者の認識を押さえたものとなっている。とりもなおさず、無名の将来を棒にふった学生たちの切実さを救い上げようとする意図には敬意を表したい。

この対談だけでも、貴重なパースペクティブが提供されているといえる。
http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20101125

■富田武『あれは「自分探し」だったのか、異議あり』(雑誌「現代の理論2009年秋号」所収)

富田武は東大闘争に関わった当事者で、現在成蹊大学法学部教授。「現代の理論」編集委員
富田は大きく以下の諸点で、この労作を評価しつつも決定的に異議を唱える。

1.方法上の問題
60年安保闘争と異なり、全共闘運動は個人中心のアナーキーな運動となったから、限られた諸党派の指導者だけの証言だけでは足りない。

またマルクス主義ソ連崩壊により失墜した後なので、活動家の離反に伴うバイアスに注意しなければならない。自己卑下による結果的解釈の自己正当化が元活動家に広くみられる時代になっているということである。

それに対して、小熊は当事者インタビューをしなかった理由として、回想ゆえのバイアスを指摘しているが、だとすれば書かれた回想も同様に排除すべきであり、慎重な資料批判がなされるべきではなかったか。

2.運動の性質
団塊の世代」が大学進学によって、高度成長期の社会と教育の矛盾を感じてアイデンティティ・クライシスを表面化した。従って闘いの中心は、「主体的に」闘うあるいは「自己否定」という思想運動に純化されることによって、実は「自分探し」をしていたのだと小熊は結論づけるが、決定的な誤認だと言う。

「この言葉が示すような内向的なものではなく、『想像力が権力を取る』(フランス『五月革命』指導者D・コーンバンディ)という言葉に象徴されるような、旧来型の革命運動、社会運動に代わるものの追求に特徴があったことである。対抗文化やコミューン(生活共同体)の試みも含めて、資本主義管理社会と「社会主義」官僚国家に異議を申し立てたもである。

それは端的に新旧レーニン主義をいかに超えるかということが真剣に検討された
事実、と富田は続ける。

「西欧ではグラムシ市民社会論と『陣地戦』論が、日本では平田清明の『資本論』フランス版の読み直しに基づく市民社会論が、新左翼のすくなくとも一部を惹きつけたのである。」と述べている。
確かに、当時のわたしの記憶でも平田市民社会論は競って読まれ、レーニン主義側(セクト)からの批判に対してどう評価するか迷ったものである。

3.連合赤軍内ゲバ
「大学闘争と70年安保闘争の急進化、街頭騒乱傾斜により、新左翼諸党派の教条レーニン主義への純化と一部の軍事路線ばかりが目立ち、連合赤軍事件をもって新左翼は破産したと言われるようになり、本書もそうした一般論に乗った議論を展開している。」が、「全共闘運動のリゴリズム」をみいだすことは同意できない。

「連赤は、軍事路線化した一握りの自称前衛が権力に追い詰められたときにとった行動であり、戦前及び戦後の軍事路線期の日本共産党にも見られた、あくまで党派固有の現象である」と指摘。

むしろ「反省すべきは、反スターリンを掲げる新左翼諸党派のスターリン主義的体質であり(革命と前衛のため滅私奉公といったモラリズム、反革命との闘争の名による内ゲバ)、さらにはマルクス主義、とくにレーニン主義毛沢東主義にしみついた軍事的思考(戦略・戦術、同盟軍などの用語)であろう」と小熊には見えない、当事者ならではの切実であった克服課題を剔抉している。

4.闘争参加学生への小熊の侮蔑
東大闘争は「特権意識になかばささえられたかたちで、闘争体制と全学ストが表面的に維持された」という全体評価は、一旦ストに参画し解除派に回った学生も含めて、闘い悩んだ学生たちへの冒涜であると富田は怒るのである。

以上の諸点を経て、富田は次のように結論づける。
「総じて『時代思潮』の追求が理論の軽視(社会運動の単なる反映、心性程度のもの)と表裏の関係になっており、脱イデオロギーの今日からの遡及的歴史的解釈になっている」と。

その他には、事実誤認が多々あり、このような書物を書くに当たっての見識を疑われる。特に新左翼諸党派が自治会執行部を握ると自治会費を流用私物化するというようなステレオタイプは問題だと警告している。

なお、富田武に『大学闘争四〇年に想う 一当事者の社会運動史的総括』(「現代の理論2009年新春号」)がある。


■雑誌『情況2003年8・9月号』
所収論文

  

■雑誌『情況2009年12月号』
特集小熊英二『1968』&特集日大闘争とは何か
以下所収論文

  • 市田良彦「68年革命は『存在』しなかった」
  • 三上治「1968年という伝説について」
  • 高橋順一「<1968>は『革命』として扱われなければならない」

これら『情況』の掲載論評は、いずれも60年安保、68年全共闘運動の当事者からの重量級の批判である。ただの読書評ではなく、現在の思想状況を踏まえた各自の小熊を媒介にした総括でもあるので、リアリティがある。

小熊の労作がともあれ運動の全体像をとりあえずおさえようという向きには高い評価がつくだろう。それは歴史としてしか知らない小熊以下の世代だろうが、カルチュラルスタデーズ風な読み物として便利だくらいに思っている世代は、実存をかけたこれら当事者の小熊批評の重さに耐えられず、この重さ自体を無意味なものと思うかもしれない。

しかし、歴史としてしか理解できない世代にも、鈴木英生「新左翼とロスジェネ」のように、全共闘運動をポジティブに救い上げて、現在の批判的運動へ架橋しようと試みる意欲的な若者たちもいる。

「1968」を好意的に評価したひとは、是非これらを読んで、現代史の取り扱いの方法論的検証をして欲しいものだ。
当事者は、まだ生きているのである。


■友常勉「『あの時代』の脱神話化」図書新聞2932号(2009,9,5発行)

友常は社会思想の専門家である。
この労作の肯定的評価としては、貧困と格差が社会を二分していた二十世紀後半の社会批評の有効性、すなわち<1970年パラダイム>が失効したと考えるとき、この<1968年>
の学生・青年労働者の左翼運動を、根本的な批判の対象にすることは時宜にかなっていると評価する。


小熊の論述に沿って内容紹介と解説をするのだが、小熊が書く内容は従来の既存に出回っている言説を超えるものではなく、小熊流にデフォルメされたものとして批判する。


小熊流というのは、観念論に走った東大とそれに影響された日大闘争の未熟性、それに対して、べ平連と慶大学費値上げ反対闘争の高い評価。


すなわち、全共闘における戦後民主主義批判とリゴリスティックな二者択一、学内ゲバルトの招来、これらは発展途上国にみられる急激に高度化するときの「擦過」であり、アイデンティティクライシスだということを指している。


小熊が全共闘運動を腐し、その政治言語の脱神話化をはかろうとするモチーフは理解するが、友常は小熊の方法論において決定的な以下の批判を行う。

「本書に新しい発見がないことを問題にしているわけではない。問題は、文字資料を裏づける聴き取りが不足していることである。オーラル資料としては主要に参照されるのは、すでに筆者との間で共著がある上野千鶴子である。また先行世代の主要なリソースとして参照されるのは鶴見俊輔の談話であるが、それは本書の内容をカバーするのに十分であるとはいえない。


現代史であり、当事者が数多く存在するこの時代領域を扱うさいに、既刊の文字資料を中心に論述を組み立てるのは閉鎖的ではないだろうか。


そのことにかかわって、すでにネットでの書き込みにみられるように、本書には事実誤認や独断が少なからず存在する(セクト運動の事実経過において、また、田中美津自身が指摘しているまちがいなど。さらに土田缶ピース爆弾事件を警察当局の「自作自演」と書き流していることなど)。


(略)
これは聴き取り=オーラルヒストリーの方法論にかかわる問題である。オーラル資料を不可欠とする現代史を記述することは、当事者に対する対面的な責任がかかるということであるり、これを方法論として確立しなければならないということである。


(略)
史記述が、本書のように、生理主義的な心理学に行動分析の軸を置いている場合は、なおさらである。いわばそこでは言葉は裸にされるが、その歴史的現場での生成的な意味と多層的で象徴的な意味の両方が配慮されない。


デモの現場での投石の「開放感」が語られるとしても、その生理主義的な心理学はその現場での直接的な情動を十全に説明しないし、むしろあとから反芻されて構成される場合があるからである。
(以下略)


そして友常は、同じ<1968年>を論じている絓秀美(すがひでみ)との異同を指摘して、小熊と絓が相補的な位置にあると論じている。


つまり小熊の言うべ平連を正の遺産としても一過性であり、民主主義と非合法闘争の両立があって初めて小さな闘いが<革命>のイメージに触れる瞬間が醸成されるのだ、と指摘して、「日常と非日常をつかみなおそうとするならば、<1968年>の現代的意味は再び私たちのまえに投げ出されているのである。」
と結んでいる。


この友常勉の書評は、掲載年日からすると『<1968>』への最も早い書評だと思われる。



■絓秀美「リベラルデモクラシーの共犯−鶴見俊輔の場合」
        ↓
  http://www.linelabo.com/tsurumi.htm

この絓の論考は小熊英二の杜撰さを見事にえぐっていて、小熊がどうしても史的事実の押さえ方が、現代史でありながらテキストに限定したり、インタビューの証言者のウラを取らなかったりという偏りがあることがわかる。

また、べ平連の市民運動が、そのまま70年以降のシングルイシューの市民運動と地続きのものだという基本的な点での誤認があようだ。現在に続くシングルイシューの運動の多くが、全共闘運動が解体する後退戦の過程から発生し、ベ平連(知識人と党派指導)とは質的に違う運動であるという視点はスッポリ抜け落ちていることがわかる。



田中宏和ブログ「世に倦む日々」−『小熊英二による丸山真男像の歪曲』
        ↓
   http://critic3.exblog.jp/5960231/

小熊の基本的なものを書くときのモチーフとアプローチを的確に指摘している。
いわば「定説」を覆しては、自己の手柄を作るという野心優先型の困ったひとなのだ。

しかもその「定説」は、小熊がさも事実を集めて真実を造形したように装いながら、その実、小熊によって批判しやすいように歪曲されたものなのだ。
それを全体の書き物の基本的トーンとしているため、小熊の論は事後的解釈だけの現状肯定に陥ってしまう。

その辺りの方法的問題を長崎浩同様、田中も指摘している。



■ハンドルネーム古井戸ブログ「試稿錯誤」−小熊英二『1968(上下)』書評
       ↓
   http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2009-09-10?comment_success=2010-02-05T12:41:31&time=1265341291

東大闘争を同時代に生きた方のようだが、小熊の論考の何点かを採り上げて的確な批判を展開されている。

特に、小熊が慶大教授という立場にいながら、当時問題とされたことが全て解決されて、跡形も無くなっているのか?と問う。
現状への懐疑を認識しえないという方法は、小熊の論述内容と不測不離にあり、全共闘が暴露し、指摘した課題のその後がどうなっているか追跡して意見を聞きたいと皮肉交じりに正当な指摘をしている。



田中美津『「1968」を嗤う』「週間金曜日781号」2009年12/25発売号

田中美津の70年代初頭のウーマンリブ活動について、小熊は64ページを割いているが、その中で事実関係45箇所が間違えていると指摘している。

まだ存命中の人物の私的経歴にかなり踏み込みながら、これだけの誤認は名誉毀損問題ではないだろうか。

全体を通じて、田中美津の舌鋒がさえている。詳細は省くが、次のような論点は、小熊のように運動をただのカルチュラルスタティーズ風に記述しようとする者にはなかなか理解できないところだろう。

田中美津は公的なものに私を滅却する思想や運動は、ファシズムであり個の解放には至らないのだという論旨で次のように言う。

「大儀のために『私』を殺すな!」とは、「イヤリングを着けて革命して何が悪い」という主張だ。革命と、愛し合うことの、その両方を大事にしたいという主張てある。

それなのに小熊氏はお粗末極まる誤読を、この大事な結論部分でもやらかす。

彼は批判する。「大儀のために『私』を殺すな!」と主張することは、「『革命の大儀』を否定することだ」と。

(中略)

「革命」が〇なら「イヤリング」も〇よ、「大儀」も「私」も両方とも大事という主張である。

(中略)

「大儀」とは「私たちはどのような社会を良しとするのか」ということに関わることで、「イヤリング」とは「この今生きている幸せであり喜び」だ。

と批判している。

これは田中美津新左翼とて女を解放する視点を持ちえていなかったと批判するが、党派には確かに的を射た指摘である。しかし全共闘派はこの田中美津とほとんど同じ問題意識を共有していたはずだ。

時代の精神に沿って内在的に分析しない小熊の方法では、運動のもっとも中核的な意識を簡単にスルーしてしまう。



塩川伸明(東大社会学)読書ノート「小熊英二『1968』」
        ↓
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/index.htm

恐らく同業者として最も丁寧かつ小熊を公平に評価しようとする書評である。
これ程小熊の長文の読書評は他にない。

塩川が問題としている点は大きく三つある。

他の評者たちが指摘している対象との距離のとり方や資料の取り扱いが一点。

「本書は基本的には第三者的な立場から冷静に書かれた学術書という性格を持ちながらも、ところどころでそれに徹することなく、著書自身の対象への共感や反感が露になっている場合がある。それは通常の歴史学の作法からすれば欠陥と評される余地があるが、見方にによっては、むしろそれこそが独自の魅力だともいいうる。」と微妙な言い回しをしている。

塩川のこうした腫れ物に触るような小熊評価の記述は随所に出てくるので少しいやらしさを感じてしまう。まあこれも好意的にみれば公平性を担保しようという意図であろう。しかし同時に同業者への配慮、とくに東大の指導教官?上野千鶴子との関係かと思われる。

二点目は、記述方法。
資料の取り扱いに、自身の価値判断をいれてくるため、全称命題と受け取れる断定的文章がしばしばでてきて、塩川としてはどうしても違和感を持ってしまうと言う。

第4部のベ平連連合赤軍の章は、小熊らしい登場人物への繊細な感覚を働かせたステロタイプに陥らない文学作品のような緊張感をもっている、と評価。

しかしそれ以前は「活動家一般」と単純化とワンパターンが多く個性より法則性を重視する印象を与える。

例えば山本義隆(東大全共闘議長)の人物像をめぐって、彼が公に著したものと私的言辞の間に齟齬があり、「汚い人」と解釈できるのだが、たまたま山本には高潔な人格についての証言記録が多く残っていたため、二重人格的な汚い行いは「立場上やむをえなかったのだろう」と同情的解釈引き出している。しかしこれが大多数の無名の活動家だったら「汚い事実歪曲を行う人間」として断定されたかもしれないと、小熊の記述方法の危険性を批判。

そして、全称命題として受け取れる文章の根拠が、「特定の個人の回想だったり、あるジャーナリストの観察だったりする。」と指摘。その「特定の個人の信憑性や当時の活動家全体からみてどの程度代表なのかといった問題の吟味がやや弱いのではないかという懸念を抱かせられる」と述べている。
だとするならば、「『当時の活動家のうちには、これこれの傾向が少なからずあった』という留保つきの表現をとる方がふさわしいはずである。」と結論づけている。

小熊は全共闘を否定することが目的であるから、このような悪印象を与える記述方法を意図的にとったことが伺われる。俗悪マスコミがよくおこなう印象操作というやつだろう。
学術書もどきに仕上げて、その実小熊の先験的なイデオロギーを散りばめるのは頭のいい東大出がよくやることで、昔も今も変わらないようだ。

また冒頭の資料取り扱いの問題だが、塩川は運動の当事者が現役だという特殊事情から出てくるバイアスに気づいていないと批判。

回想は現役を引退した場合と現役とでは回想の仕方が違うので気をつけなければならない。
現役は過去の自分より現在の自分を守ろうとする。従って回想を書く人は現在評論家やフリージャーナリストに偏ってくる。そして無意識に「自己正当化」をはかるので注意が必要だと。
すなわち「過去の自分が何も考えていなかったという風に描いた方が、そこからの『進歩』の顕示が容易になる。」「あの当時は、何も分かっていなかった。口先だけいろんなことを言っていたけれども、それは全て空回りで、実際には何も考えていなかったのだ」という言い方の方が、「当時も一生懸命考えた末に行動していた」というより、はるかに楽である。

従って、反体制運動のようなテーマでは、当時の若者が中年になって書いた回想記の場合、過去の自己を殊更に矮小化し、カリカチュア化する方向へのバイアスが働きやすいと指摘、ここの丹念な検証をスルーすると、ひたすら幼稚だった、愚劣だった、何も考えていなかった、というステレオタイプを繰り返すことに陥ると批判するのである。
塩川の指摘は正当だといえよう。

さて資料、記述方法の次に、第三の問題として運動内容について塩川は詳細な批判を加えている。いってみれば小熊の思想そのものの認識違い、あるいは事後的なイデオロギー性を突いている。

小熊の欠陥を剔抉した代表的なものが、「戦後民主主義」批判の曲解である。
塩川は、小熊が相変わらず全称命題で全共闘が「戦後民主主義」を全否定したと記述しているが、それは間違いだと指摘し、次のように精緻な分析で答えている。

社会主義運動では、過去に「ブルジョワ民主主義」は偽りの民主主義であり、高次な民主主義を目指すと唱えており、ブルジョワ民主主義を否定したわけではない。理念的には民主的であることを否定していない。
同様当時の若者が「戦後民主主義」を全否定したというのは間違いで、より厳密な意味で「戦後民主主義」の限界と欠陥を指摘し、克服しようとしたことが真実。小熊は言葉の記述に職業的に厳密さを要求される知識人のものは高く評価するが、それに反して稚拙なアジビラていどの若者の表現の加熱やオーバーランをそのまま受け取ってしまっていて吟味さえしていないと述べる

全共闘が「戦後民主主義」を否定したから、高次な民主主義を実現どころか反対の結果を招いたという批判の仕方では、この難問は解決しないと述べる。
なぜなら、「民主主義を掲げているからわれわれは真に民主的なものを作り出せる」と自称すれば真に民主的なものを作れるのか。それほど単純なものか。その非民主的にならない保障はどこにあるのか。現実には民主的だと唱える運動が同じ轍を踏まない保障はないのである、と小熊の論理の甘さを指摘している。

また連合赤軍事件については以下の指摘をしている。
塩川伸明の小熊批判こ塩川のブログに掲出があったはずなので、ここで中断します。興味のある方は捜されますように。少し疲れちゃったから、終り。






■2CHの『1968』小熊批評
  http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1261798512/

かなり専門性の高い連中や、運動の当事者らしきひとたちが小熊を断裁している。

小熊は上野千鶴子の弟子筋らしいこと、

宮台真司が批判していること、

田中美津本人が、自身を記述した中に45箇所も事実誤認があることを批判論文で指摘しているらしいこと、

などなど、とにかく事実確認をとっていないので、あらゆるところに誤認があって、歴史書ではなく週刊誌以下の偽書であると、参加者たちは断じている。


(参考関連ブログ)
複数の1968年のために(全共闘運動)−四方田犬彦『可能性としての68年』
http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20101125