井上ひさしの作品を耽読したとか、格別のファンだったとかいうこともないのだが、なにかの折に彼が発言することは一応気になってチェックしていた。
概ね共感をもって聞いた。
しかしそれ以上の感慨はなかったように思う。それは戦後の文学者や知識人の常識的な見識の枠を出るものでなかったように思うからだ。
ただわたしの個人史のなかで、井上ひさしの「ひっこりひょうたん島」はひとつのエポックメイキングをなしている。
NHK教育テレビという地味な局で、それがジワジワ人気を博し、やがて国民的ヒット番組になったのは、わたしが高校3年生(S41)の頃だった。
人形劇に熱中するほど面白いとおもったわけでもないが、登場人物のキャラクターや会話の掛け合いが大人のエスプリに富んでいるように感じられて、面白かった。
その頃丁度漱石の生誕100年祭?の顕彰記念出版が筑摩かどこかであって、漱石が見直されていた。
そこで校内の新聞の「漱石特集」に寄稿することになったので、「ひょっこりひょうたん島」を漱石の作品のユーモアにひっかけて論じたところ、教師からも学友からも思わぬ好評を得た。
高校生だから、だいたい誰かが書いたものの模写やモザイクが落ち着くところであったが、わたしの場合は不勉強が功を奏して、オリジナルなものを書かざるを得なかった。それが成功の原因だった。
それだけのことだったが、自意識過剰の思春期のわたしには、他人から褒められることは、自己を立て直す大きな支柱になった。
というのは、前年(高ニ)サークルの機関誌で編集長として「ベトナム反戦特集」をくみ、これが一部で高い評価を得た。
NHKのあるディレクターの眼にとまり、取材申し込みがあったようだ。ようだ、というのは後から顧問教師から顛末を聞いて知ったためである。
高校生の政治意識をテーマにNHKが番組制作をしたいということであった。
校内関係者にしか配布しなかった機関誌が、どうしてNHKに渡ったかは未だに不明なのだが、そういう経緯があり、学校側は「高校生の政治主張は望ましくないので取材は断る」とわたしに相談もなく蹴った。
当然わたしは怒り学校側を非難した。
何故、高校生の政治主張は好ましくないのか?
高校生は戦争について考えたり、反対したりしては何故いけないのか?
当然わたしは、学校の教育ではなく生徒の秩序管理を優先した事なかれ主義による教師の自己保身ではないか、となじった。
この年はその数ヶ月前、ビートルズの日本公演へ行ったものが何人か停学処分をくらっていて、学校側もピリピリしていて、生徒管理が前景化していた。
なぜなら、労働組合加入教師らが率先して学校の管理側に加担したからである。
その後精神的に尾を引き、鬱屈して受験勉強は一切しなくなっていた時期である。もう受験が数ヶ月先に迫っていた。
そんな危機的状況のときに「ひょっこりこょうたん島」論が好評を博し、なんとか自意識の体勢を立て直すことができた。
ただマヌケな話は、このシナリオが井上ひさしのものだということは、後年だいぶ経ってから知った。
まがりなりに、気を取り直し、大学進学したのも、ものを書くことでひとさまと連帯感を得たり、また自己慰撫する喜びを知ることができたのも井上ひさしの「ひょっこり…」のお陰だったと思っている。
あのとき、「ひょっこり…」論を書かなかったら、今の自分は無かったように思う。
井上ひさし、ありがとう。
合掌。