俳句鑑賞・至高著『俳句界8月号特集』掲載小論--大道寺将司一句鑑賞

選句  額(ぬか)衝(づ)くや氷雨たばしる胸のうち 

掲句は二〇〇七年、拘禁されてから三十三年目の作品。長い実に長い拘禁生活のなかで大道寺将司は革命幻想とテロルを幾度反芻したことだろう。被害者への謝罪と懺悔を繰り返し作品として吐露している。

 掲句の「額」「たばしる」古語に限らず全般に擬古体を駆使しているところに特色があるが、その表出の内部に関心は向く。
日本の近代詩歌が苦闘の末に口語体を獲得したが、擬古体が噴出する時期があった。戦間期戦争翼賛詩歌のほとんどに擬古体が使われた。その詩歌人たちは現実的環境世界を見ようとせず、自己意識が自己幻想としてのみ関わるところに作品を作った。
大道寺は実存としての環境世界から隔絶されることにより、孤絶した。革命幻想の崩壊は、現実の環境世界との回路を論理化し思想することでしか自己の再構築はありえないのだが、その表出は禁じられている。
戦争翼賛詩歌人たちは意図的にそれを見なかったが大道寺は見ることを禁じられた。見ているものは残影ばかりだ。

鬱屈した情念は俳句作品として昇華していくのであるが、内面と形式は分裂して平衡を保とうとする。口語体は環境世界喪失ゆえに実在を欠いた虚しい指示性としてのみ意識され、自己価値の表出とはなりえない。
擬古体こそが自己価値を担保し、自己承認の自己表出性として意識的な特権化が図られているとみてよいだろう。

「死刑囚大道寺将司全句集『棺一基』の衝撃」-『俳句界8月号』掲載特集より抜粋