北田暁大の小熊英二批判(朝日新聞掲載論考と『1968』をめぐって)

小熊英二が、朝日新聞になにやらSEALDsなどの国会デモを持ち上げた論考を寄稿したようだ。ようだというのは新聞をとらない小生は見落としているからだ。
しかし、おおよそは予想がつく。
この論考に北田暁大が反論。今の若手の社会学者が衝突した。まだ小熊からの反批判の動きはない。
われわれからみれば若手の俊英が論争することは、沈滞した知の業界にとって刺激となるし、現状を歴史文脈で把握する作業に寄与するし、ジャーナリスティックな左派運動の質的問題に目を向けるという意味で重要である。
なにより失われた智の楽しみをもたらしてくれるだろう。
特に『1968』は出た瞬間から批判的だった小生には、公に小熊のデタラメさを批判する戦友がおらず、今回の北田の小熊批判は正鵠を射ており、若手にも本物がいたのだと安堵した。

以下、北田のツイートをまとめられていた方がいたので、そのままお借りしておく。(更新日 2015,10,11.shiooko)

もう少しで小熊さん朝日論考怒涛の連投いきまーす。


新聞用の短い論考にあれこれ注文をつけるのはおかしなことだと思うけれども、「田中美津、『1968』を嗤う」を読み返して、色々小熊社会学への積年の違和感が明確になった気がする。田中さんは『1968』の最終章にブチギレてるんだけど、それはたんなる取材不足という水準のものではないな、と。


小熊史観の最大のポイントはリブとフェミニズムの消去・矮小化にある。田中さんがキレてたのは、「わたしに聞きにこんかい」というだけではなく、小熊史観のジェンダーバイアスを鋭く突いている。


小熊朝日論考は68年と15年を比較しているわけだけど、その比較の準拠点、扱うデータの差異の無頓着さ、等はすでに述べた通りで、若者を貶める「俗流若者論」の裏表となる「俗流若者(現在)礼賛論」といっていい。比較の準拠点は「革命/日常」「安定/脆い日常」である。


朝日論考で踏み込んだ話はできないのは当然なので、『1968』の①方法論、②解釈の前提をみてみる。①に関しては小熊さんは実は言説分析とはいっていなかった(『民主と愛国』と違う)。逆にいうと、言説分析でも歴史社会学でもない歴史学と勝負しようとしている。


『1968』で宣言されている方法は、言語の遂行性を重視する言説分析ではない。言説分析であればビラや機関誌に書かれたことを真理への近似の証拠として扱うことはない。小熊さんは明確に「学生の生の声」を拾い上げたいとのべている。そのためにはバイアスのかかる「想起」は不要、というわけだ。


インビューを回避したのは「68年神話」を崩すため。過度に68年に歴史的意味を与える神話に抗うため。当時の資料からみえてくる心情を読み解く、と。歴史学者であればインタビュー可能な当事者が存命であれば、他の資料との整合性を測定する資料の一つとして想起を利用する。小熊はこれを拒絶する


「神話」を解体するために想起を回避する・という方針が、インタビューしないことの弁明となっている。しかし、神話解体のためには「神話でないもの」と対照しなくてはならない。つまり資料は過去を映し出す鏡でなければならない。鏡は曇っているが、なるべく曇りははじいて、というのが小熊方針。


ご本人は否定するが、実は『1968』は社会学や言説分析ではなく、歴史学として勝負することを宣言している。だが、歴史学者であれば口承データと文書データを突き合わせて過去の事実へと近似するだろう。『1968』はその近似への歴史学的作業を回避した小熊による新しい神話(言説の連関)作り。


そうした「歴史学マイナス口承データ」という史料観に立って、より当時の「心情」に近似する言説が選択されていく。そこに大学進学率や経済成長などの社会的背景が付けたしされ、「歴史社会学」ということになっている。とても古典的な社会反映論である。知識社会学というのも難しい。


本来であれば歴史学(過去の出来事の記述の真偽)で勝負すべき立場をとりながら、「歴史社会学」というマジックワードにより、歴史学的方法も言説分析・知識社会学的方法も避けている。そこから得られるのは、著者の枠組みに適ったデータの選択である。データが心理に近似するかは著者が決める。


で、田中さんの小熊批判。田中さんは単に「間違っとる」といっているのではない。小熊さん自身が当時のマスコミなどで流布されたステロタイプなリブ像をなぞり返して、消費社会の予兆みたいな位置づけをしている矮小化(②)に苛立っているのだ。なにしろ田中さんの人生が解釈されるのだから怒って当然


田中さんの論点は、a事実誤認の確認、bその事実誤認に基づく「物語」批判により成り立っている。事実認識としては、「四人の男性と同棲」「あぐらかいてタバコふかす」「幼少時の性的トラウマ」「真面目の意味」「白いミニスカート」「革命に憧れる」といった一次資料レベルで分かる誤認。


どこが歴史社会学なのか分からないのだが、小熊さんは執拗に田中さんの「心理分析」を行う。なんでも心理分析するテレビのコメンテータのように。そんなに心理を知りたければ聞きにいけばいいのに、とは思うよね。だれだって。で自分の過去を勝手に再構成された田中さんの言。


田中美津は高校出の家事手伝いのフリーターで、白いミニスカートでビラを撒いていた二七歳のオールドミスで、やることが長続きしない、直観であれこれいっているだけのウーマン・リブだった…と執拗に記す小熊氏の「田中美津論」」。そりゃ聞きに来いやーとなるjk。


要するに田中さんの当時の言説のアイロニーなど、調べればわかるものを抜き書きして、「理論的でない矛盾に満ちた謎の存在」としての田中美津像がつくられていく。そしてそれがなんと消費社会を用意するものであったという。「わかってもらおうと思うは乞食の心」もまったく逆の意味を与えられる。


正直17章読み返して呆れた。なんと田中美津連合赤軍解釈は、「義によって<私>を殺す」ことを否定する消費社会の肯定につながるもので、社会運動より「私」の欲望が優先されるべきだ、という論理を生み出したという。そりゃキレる。社会運動の切断を生み出したのがリブとかいわれているわけだから


小熊さんが「とりみだし」の論理をほぼ理解してないことは(「できない」というなら誠実だが)明白。化粧して綺麗にみられたい私もいれば、素顔で毅然としていたい自分もいる。この「大義」においては矛盾としか映らない事柄をそのものとして「肯定」し、「とりみだす」こと。


大義」を振りかざす男が用意した「踏み絵」に戸惑い、とりみだす自分を否定するのではなく、そのものとして受け止めること。しかし小熊さんはそれを、社会運動よりも「私」の欲望を優先する非論理的なあり方と記述する。それは当時のマスコミ報道のリブのステロタイプを反復しているだけ


つまり「大義」と「個」を対峙させることを拒絶したリブを小熊さんは「大義を後景化させた」ものとして解釈する。リブはあたかも「革命」の時代から消費社会への移行を象徴するあだ花であるかのように扱われる。リブ〜80年代フェミは小熊さんにとって「社会運動」ではないのだ。


リブから行動する女の会、上野・江原まで続く問題意識は、「公/私」の二元論を突き崩し女性にとっての「前」を模索していく試みであり、男性にとって安穏とした日常のなかに「私的なもの」として巣食うセクシズムを問題化していくことだった。その日常批判を小熊さんは「社会運動」とはみなさない。


ぜえぜえ。というわけで、小熊さんにとって15年安保と比較すべきはリブやフェミではなく、「男たちの全共闘」となる。田中さんの人生を、「歴史社会学」の名のもとに「パッチワーク」しながら、それは社会運動史から消去される。男たちの革命と、現代の(若者の)日常性が対照される。


小熊さんが消去したリブ〜女性学・フェミニズムの流れこそが、「男にとって自明な日常」がいかに政治的かつ社会的なものであるかを問題化していたのに、である。そこすっとばして、「革命=68年/日常=現在」などというから、そりゃフェミのひと怒るわ。日常性批判とかどこ行ったのか。


日常を持ち出すことになぜ多くのフェミが怒っているのか、小熊さんにはわかるまいというわけで、小熊史観は①方法論的に問題がある、というだけではなく、②「社会運動の定義権を男性に委ねる」ことにより成り立っている。日常「のため」の闘争というよりは、日常「のなかの」闘争の記憶は忘却される。


俺様定義で作り上げた「70年代パラダイム」と、現在を対照させて、後者は「凄いわ、新しいわ」ということは、ほとんど歴史修正主義である。リブを誤認したからこそ、今回の朝日論考は「比較」の図式をとることができた。ずっっっと地味に活動してきたフェミのひとたちは怒って当然。


そこで例の「お母さん」話が「「革命」志向の年長世代」に「保守的な主張として映る」と書くのは、ほんまずるい。だいたい「革命」志向の年長世代って誰? 上野さんのツイートをなんとしても無理くり「シールズ批判」として読もうとする欲望を抱いているのは、小熊さんたち自身じゃないの?


リブ〜フェミの流れと地道な活動を社会運動とみなさず、いきなり安田講堂にこもった男たちの物語と、「現在の日常」を比較する。これはずるだよ。というか、はっきりいって、リブ・フェミの社会運動としてのあり方を否定する反動史観と言わざるをえない。セクシズムの話を勝手に世代論にすりかえない!


とりあえず小休止。続きはウェブで!


「リブは新左翼の運動に参加した女たちが…いろいろ疑問を持ったところから始まってます。…「ここにいる女」としてその矛盾を引き受けるところから出発しようというその考え方は、たぶん東大闘争の自己否定の倫理に疑問を持ったことに端を発している」田中美津『かけがえのない、大したことのない私』



今日はおしまい。


「被害」という言葉・概念を得るまで、それは日常的にときどき現れる「気持ち悪いもの」として認知処理されてしまうわけで、なにをいいたいかというと「日常」はとても政治的で込み入った文脈を持ち、著しいジェンダー非対称性をもつものだということ twitter.com/akupiyocco/sta…


あと一つ。小熊さんは田中美津さんの性的虐待体験について、95年のインタビューで「遊びみたいで楽しかった」と書いてあるからって「性暴力の被害者という田中のイメージは、当時の田中が選択的に作り上げたもの」と言ってんの。「それだから、後からひどく傷つくんだけどね」と続く部分無視してね。


これを二次加害といわずしてなんというのか。


おやすみしてしまえ、歴史社会学者たち。


これに対して、
筆者からのコメント、

北田氏の論考は的確鋭利である。田中のリブにフォカスしているが、『1968』は小熊のアプリオリな恣意的歴史造型に叶う事実を拾い集めて、アマルガムに仕立てた70年運動の抹殺でもある。私はこの間のデオドランド化したデモに小熊の関与を危惧、批判を共有できたことは評価したい。

[参考]
小熊英二『1968』への違和感http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20100202/1265120742