ロバート・ライシュ、エマニュエル・トッド、北田暁大、世界を切り拓く思想に光明をみる

わずか二日間で、どんより垂れこめたロンドンの空が一気に日本の秋晴れに変わったような体験をした。

(1)ロバート・ライシュ「みんなの資本論」を第七芸術劇場で観る。
ライシュは、経済学者にしてクリントン政権下の労働長官。ハーバード時代クリントンと友人。共和党の経済諮問委員を務めてもいる。
戦後の特に70年以降のアメリカ社会の分析を、経済を基礎にして論じている。

映画は、動画グラフやドキュメントを挿入しリアリティに富んだ映像に仕上げている。いわば一冊の学術書を映像に置き換えた「アメリカ解体新書」ともいえる。

1.アメリカ社会はかつない崩壊の危機に直面している。それは経済格差の拡大に伴い、国民がウップンを互いに他人のせいにして、民主主義的な合意形成ができにくくなっている。
2.70年代から始まった1%の富裕層と99%の貧困層は、市場は自由であるから市場にまかせるのが適切である、という考えだった。しかし、その自由は政府が決めたルールのもとの自由であった。嘘にみなが騙された。
例えばレーガン政権下、富裕層の所得税は70%を38%に下げた。その後どんどん引き下げられ現在12%である。それに引き替え勤労者は33%である。
 また、97年金融恐慌後、勤労者の賃金は1/2に減っているが、富裕層は2倍に増やしている。トリクルダウン説はまっかな嘘なのだ。
などなど自由な市場が、政府の政策によるルールによって人為的につくられていったものだと例証していく。
3.ライシュは、経済の主体は消費者である。そのためにはモノを沢山買える消費者を多くしておくことが大事だと述べる。勤労中間層の賃金を殖やし、厚い中間層をつくることによって経済の好循環を生み、勤労者が豊かになり、社会は安定するという政策を提唱する。
事実、クリントン政権時代には生産力は急激に伸び、雇用も拡大した。
だが、財務省の裏切りで、業績が上がっている企業の経営者の所得制限をしないことを認めてしまった。

などなど矢継ぎ早に展開されていくので、記憶違いがあるかもしれないが、ざっとそんな映画である。

(2)次はエマニュエル・トッド氏の来日インタビューである。
いま売れている『シャルリーエプドとはだれか』の著者でフランスの思想家。
テロ後世界的に巻き起こった言論の自由を守れといって白人有名人が氷水をかぶったりした。アチラかぶれの日本の文化左翼がそれを真似した。筆者は彼らの見当違いなマヌケな振る舞いを厳しく批判した。まさに言論の自由が、マイノリティ侮蔑と排斥を生んでいるという「西欧民主主義」の限界を識らぬノーテンキなバカだと。
後は語るまい、ドット氏のインタビューを見ていただければ筆者の世界認識と見事に合致していることが理解できるだろう。

トッド氏対談「世界と日本はどうなるだろう」
  http://news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye2693443.html

⇒テロは戦争より残酷か、テロが「シャルリー・エブド」の救世主という皮肉
  http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20150205/1423143965

⇒シャルリー・エプドのまたも「表現の自由」というヘイトクライム
  http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20151004/1443964059

(3)北田暁大上野千鶴子の対談『atプラス』より。
ツイッターの北田発言で、すっかり北田ファンになった筆者だが、書き物もこの対談もいい。
ついこのあいだも官邸前デモやSEALDsの評価をめぐる文化左翼の問題、すなわち歴史切断と新たな「神話」づくりは、ネトウヨばかりじゃないよ、文化左翼もパラレルに進行しているよ、それはとっても危険だからね、という話を書いた。

その辺を上野との対談で改めて展開している。筆者が見る限りもう上野の完敗である。上野の賞味期限切れというか、やはり学者、文化左翼というしかない。
特に北田も小熊英二も東大社会学の上野の弟子筋だから、上野も北田の小熊批判には小熊を擁護せざるを得ないのかもしれないのかと推測したりもするが、そんな配慮より上野がじつは本気で小熊と同様な過ちを犯してしまっているとしか思えないのだ。

以下北田の文化左翼批判部分の抜粋。

■冷笑的シニシズムのメカニズム
ネット右翼にあるのは、冷笑的・偽悪的なものがいつしか熱狂へ変わっていくメカニズムだという話をしました。そしてそれは「右」に限ったことではない、とも。
 上野さんのお話でいうと、デモ型の運動の経験値の少ない世代の知識人に、私はこのメカニズムが作用していると感じます。
たとえば内田樹さんですが、…年齢の割には論壇デビューが遅くて、論壇年齢的には私とそんなにかわらないんですね。
(この本『ためらいの倫理学』デビュー作が出てきたときに)すごくいやなものがでてきたと思った記憶があります。内田さんの論理は、基本的には、「自分の直感を含め複数ありうる他の可能性から選択すること」へのためらいというものがあって、そのためらいのないひとたちの「審問の話法」を批判するものでした。
 つまり「言っている内容は理解できるが、言い方が〜」というある種の語り口批判によって、ためらう自分が無敵の武器を手に入れる。様式はとても簡単です。「○○は言っている内容はいいんだが、ためらいがないので、暴走してしまう」と。この「○○」には何をいれてもいい。『ためらいの倫理学』で、その一例としてあげられていたのが、フェミニズムでした。

この批判様式は冷笑的な、というか「他者がためらっている」否かの検証もなく、自らを「ためらい」というシニシズムの側に置き正当化するものです。
冷笑が「ためらい」という美しいことばを与えられて、倫理的に正当化されました。この話法は2000年代に流行っていて、『中庸、ときどきラディカル』の小谷野敦さんもにたようなことを書かれていました。「あえて」とかアイロニーをいっていたひとたちがことごとくフェミニズを批判していたことは、とても印象的だったと思います。
シニシズムというものが、2000年代に一定の私の同世代もそのような思考様式に惹きつけられいた。私は不思議で仕方がありませんでした。
 だから今回内田さんがこのようなかたちで反安保運動にのめりこんでいくことにまったく違和感がないのです。彼が批判してやまない「審問の語法」への「ためらい」がとれた瞬間になだれ込んでいく。ネトウヨが冷笑的なシニシズムから熱狂へとなだれ込むメカニズムと一緒です。
シニカルニにかまえていて、例外状態になったらためらいを解除する。「僕はためらったんだから、たんなるコミットメントではない特別なコミットメントだ」という自己規定が熱狂を正当化する。シュミットが言った意味での政治的ロマン主義のロジックそのものです。
(略)
 「ためらい」や「あえて」という機会主義的なアイロニストが決断主義にいたるという、カール・シュミットの『政治的ロマン主義』以来の定義がきれいに当てはまると思います。(略)
わたし自身が不思議でならないのは、内田さんにしても小熊英二さんにしても高橋源一郎さんにしても、3.11で「変わり過ぎ」ということです。上野さんは変わって当然だと思われるかもしれませんが、私はなぜ変わるのかぜんぜんわからない。3.11が強烈なインパクト、カタストロフィだったことは否定しませんが、思想や社会科学の知というものが、社会的なカタストロフィによって変わるようなものではもう学問として終わっています。変わったように見えるとすれば、パースペクティブのどういう変換が起きたのか、あるいはもうちょっと愚直に、社会のあり方や構造がほんとうに変わったのか見ていく作業が必要です。

■68年と15年のあいだ

2011年以前にも反原発運動があった。ほかにもダムの埋め立てに反対する運動、住民運動、環境運動、がさかんに展開されたのは70年代です。
新左翼残党色が強いので忌避されがちですが、三里塚闘争だってずっとつづいていたわけです。つまり、シニシズムといわれた時代は、じつは非政治型の運動が「大学」を越えて成熟する時代でもあった。大きなコンクリート型行政への闘いが繰りひろげられていた。2011年に突然あたらしいものがでてきたというふうには思えません。
 2011年において運動が突然変わったという言説は、これまでの運動の歴史を消すものであるし、そこで積み重ねられてきた運動へのリスペクトも感じられない。実際には存在する連続性も看過されてしまう。いまの国会前はとても大切な運動だと思います。しかし連続性と非連続性の両方を見据える必要があります。
私がくどいくらい小熊英二さんの「新しい」という表現に違和感を表明しているのはそのためです。(略)

他に、ウーマンリブの問題、運動形態の問題、ネット上での問題など対談は興味ぶかい現在の課題を展開していく。
こうしてみると、上野の老いが感じられ、北田の方が鋭利である。上野が日本のダメな進歩的知識人に後退してしまっていることが窺える。どうして進歩的知識人は勝手に危機を断定して、「ためらい」を主観的な特別な危機を設定して解除し、運動に駆り立てるのか。危機を煽り大衆を運動に駆り立てる左翼党派と最後は密通し、共闘してしまうのだ。
学者は、本来の知のなかで知の更新に向かうことが望まれる。