オウム真理教事件の教える組織は組織を越えて変質する!

遠藤被告の死刑確定だといっても、逃亡犯はまだ3人いるし、被害者は一生闘病生活が続く。
この事件は、一言でいって近代の到達した崇高な理念を無に帰す確信が思想的背景にあった。

とりあえず死刑問題には触れない。
組織の問題に限定してみてみたい。

マスコミは盛んに真相が解らないと騒いでいるが、当事者にも解らないのではないかと思う。

ただ組織は、設立当初の共同意思が変質して、ときに当事者がコントロール不能になることもある、という単純な原理だ。

特に参加者や大衆の熱狂が、個人への崇拝、パトスを源にしたときは間違いなくその個人を乗り越えて大衆は自身の熱狂に身を任せる。

同時に、仮想敵を作り組織内部の結束と、指導部の内部矛盾をそれによって誤魔化そうとする。
最大の事件はドイツナチ党であり、北朝鮮スターリニズムである。

戦後の日本では、創価学会統一教会日本共産党新左翼セクト連合赤軍などがあるといっていいだろう。

なぜそうなるか?は心理学的、社会学的に語られてはいるが、救民、を掲げて未来の来るべき日まで個々の成員に実存の放棄を迫る点で共通する。

無党派全共闘運動はこうした欠陥を克服しようとした運動実験でもあった。
田中美津が叫んだように、「革命もイヤリングも」であって、決して連合赤軍のように口紅やイヤリングをしたらリンチにかける思想をよしとしなかった。

或いは、復活の神の楽園までは浄財獲得のため身を売ることでもない。

独りの神に気に入られたい者らが、競って過激な純化思想を身につける、例えばこの熱狂のはてにナチ党員もなぜあの残虐さが肯定できたか、後となっては誰も合理的な説明はできないだろう。

私は若者たちから組織問題の相談をしばしば受けるが、ダメな組織の見分け方として次のように言っている。
どのような教義や規約があろうと、

1.仮想敵をもつ組織
2.出入り自由が保証されていない組織

この二つが確保されている組織でない組織は危険であるということ。
私も一時支援したが、慶応大全共闘崩れの設 楽氏が立ち上げた管理職ユニオンは、組織拘束なし、困った人が参加し困った人同士スクラムを組む、解決すれば意義を感じて残るひと個人生活に戻って行くひと、全く自由である。

和解金の手数料さえ自分で決めてよいのである。
問題を残しつつも、私たちはここまでは到達した。しかし、この原則よりも参加者自らが強く拘束されたいという心理に陥ってしまう現実のグロテスクさは益々拡大しているといえようか。