ウクライナ戦争の「どっちもどっち」論の無効ー塩川伸明さんの論稿を参考に。

塩川伸明(東大名誉教授)さんの論稿(Facebook)本日読了。
A.『ウクライナとロシアーソ連解体後30年の歴史を振り返る』、
B.『ペレストロイカウクライナ』(『歴史学研究』6月号)
 まず塩川さんの名前を知ったのは、「社会主義とはなんであったのか」という本が書棚にあって、いつか読まなければと積ン読者であったからだ。
また小熊英二著『1968』のエセ全共闘記録本だとしての批判を書いた折に、批判文献を渉猟したら丁寧な批評を書かれていて参考論稿としてブログにリンクさせていただいたときだった。今でもこのブログは多くのレビーを重ねている。
ソ連や東欧諸国などにまったく興味がなかった小生には、こういう「地味」な分野をよくコツコツやってこられたことに敬意を表したいと思う。「地味」という言い方は、小生の極めて主観的印象ですから、誤解無きように。
松里公孝教授のウクライナ論も詳細を極めて助かったが、今回かなり激動のソ連崩壊から、ウクライナ戦争までの政治的変転を掴めた。
参考になったことは多々あるが、Aの論考で「はじめに」にウクライナ戦争を論評するときの「態度」とでもいうものを開示してくれていて、とても納得できた。
これは、結論的には、小生が資料もろくにない時考え抜いて書いた態度にお墨付きを与えてくれるように、同じ「態度」を是としてくれていたからだ。
これは日本の左派、元全共闘、リベラルといった連中が、軸足をどちらかに掛けたような、態度表明に分れたので焦っていたし、仲間内の分断をうんだからだ。
塩川さんは次のように述べている。
①(ウクライナもロシアも)「どっちもどっち」という言い方が、自分の主張ではなく、他人を批判する時に「あいつはどっちもどっちと言っている」という文脈でつかわれている。
今回の戦争には、「『どっちもどっち』という言い方は絶対にできない。」
理由は、「今回の事態の場合、開戦については、ロシアが一方的に仕掛けた」からだと。
②他方事態の原因分析(背景、付随事項)は幅広く検討し多面的に考える必要がある。
それはロシア側の見方の「紹介/説明」であって、「是認」や「支持」ではない(あってはならない)。
したがってこれは開戦責任について「どっちもどっち」をとるものでは断じてない。
③原因責任論について。
「米NATOにも/あるいはウクライナにも非がある」は、二通りの含意があると述べる。
a)「米NATOに非があるのだから、ロシアはそれほど悪くはない」
b)「ロシアにより大きな非があることは明白だが、だからといってより小さな非を見落としてよいよいということにはならない」
原則論としていう限り、a)は断固否定すべき、b)は正当な言明であると断定している。
心情的判断ではなく、あくまで学的厳密さでこの世界的事態を観る態度を分かりやすく整理してくれていて、歴史や東欧の現代政治に無知な小生には一丈を得た思いである。
内容については、学者としての緻密さと客観性を具備される努力が伝わってくる。
特にありがたかったのは、専門家や外交官などの「自称もの」は、民衆の動向が無視されていて、国家支配層が主体として展開されているものばかりだったので、塩川さんのは世論調査議席数、地域性などが取り込まれていて意を得たりというべきだった。
いくつか小生なりにここはもう少し突っ込んでみてほしいというところもなきにしもあらずだったが、紙幅の制約もたぶんあったことでしょう。
全て年譜におとしてスマホにファイルしたので、報告が遅くなりましたが、ぜひ一読をお薦めします。
さて明日から、関西現象学研は中央公論から出たあの『世界の名著』の全巻読書会スタートです。院生とリタイア教授たちが中心で在野のボケ爺さんは小生のみwww
またこの分野の近著が出るようなので、期待して待ちたいと思います。