『三里塚のイカロス』(監督代島治彦)―闘争を皺に刻み、実存の淵を生きている

三里塚イカロス』(監督代島治彦)を観た。三里塚空港反対闘争の総括映画といってよいだろうか。話は現在から当時闘争に参加した者たちの証言をたどって進んでいく。住み着いて支援闘争をした女子学生が、援農からそのまま反対派農家へ嫁いだ嫁の回顧談、そして今も農家の嫁として生きている。一様に皴深くいかにも農婦の顔になっている。とつとつと語るが核心に触れる発言は聴けない。闘争の勝敗に結び付けてかたることを拒否しているように見える。闘争に浪漫を感じインテリの卵が農民になるという実存のありように重きを置いたのであろう。しかし代替え地に移転して、その後自殺した嫁もいた。家族親族間の問題が直接的な引き金であったとしても、そこに敗北の色はなかったのか。
政府の分断工作に徐々に切り崩される農家が出始める。反対派の分裂と内ゲバの激化、その中で党派の介入が桎梏と感じていく農民、闘争を政治利用しようと党派が恫喝し嫌がらせをする。本末転倒である。空港公団職員への爆弾テロ、お決まりの泥沼闘争に沈んでいく。これも初めて知ったが、空港職員が折衝担当を外れた途端に、警察は個人警備を外してしまうのだ。なんと政府は公団職員までも使い捨てにするのである。
成田では支援の主流派は第四インターであり少数派が中核派だった。中核派のゲバに第四インターは報復をしなかった。第四インターの活動家は報復をしなかったことを誇りにしている、したいのを堪えて、したら収拾のつかない歴史的汚点を残したと語っている。
中核派の現地総責任者は岸宏一、淡々と当時のベモニーを取るための党の全重量をかけた闘いで、もろろもろの過ちはしかたないものだったと述懐している。そして今振り返れば中核派がその後失墜していく契機を作ったという点で闘争そのものが失敗であった。その失敗はすべて私個人の失敗でもあると語る。鉄塔の上から超低空で飛ぶジェット機を観て立ち尽くす岸の背後をカメラは引いてエンディングとなる。岸宏一はその後中核派を離れ、今年3月谷川岳にて遭難死亡、最後の証言となった。
本格的な「正義」の戦いは三里塚闘争の終焉をもってほぼ消滅する。しかし、今でもロケをしている最中に機動隊の職質にあう。機動隊の巡回パトロールは今でも続いている。
さて、私が三里塚に参加したのは69年6.30闘争。全国大動員がかかりなけなしの金をはたいて中大に集合し、アンパン2個と赤ヘルを渡された。私は絶対党派のヘルメットをかぶったことはなかったが、この場合だけは逮捕後の救援対策を考えると止むを得ないと妥協した。現地は広大な畑が広がり機動隊がびっしりと壁を作っていた。隠れるところはどこにもない。逮捕覚悟できたが改めて身震いした。
ところがこの日は、余りにも動員数が多いため混乱を避けて機動隊はいっさい規制をしなかった。規制と言ってももともと農地だから交通に支障も一般人への迷惑もかけるはずはないのだ。
私はこの時思った、農民への支援闘争にはできれば参加したい、しかしほとんど党派に入らなければ居場所が確保できないのではないか。それではおそらくこの闘争はいずれ終焉、党派の引き回しと政治利害優先の場に転落するだろうと漠然と考え、急速に興味を失い二度と訪れることはなかった。
そういう点では興味を失ってからの経緯を知ることができてこの映画は有益であった。
最後まで戦った者たちには敬意をもつが、闘いの場は「管理」の包囲網のなかではどこでも等価だと思っている。自分の資質と許容される環境のなかで個々人が持続するしかない。
それにしても、証言をした老年の嘗ての「闘士」たちは、髪の毛は薄くなり、白髪となり、車椅子に乗って、生きていたが、どのような暮らしぶりなのだろうか、年金はもらえているのだろうかなど心配になった。党派を毛嫌いし、今でも全面的に党派を否定している私だが、同時代を生きた一点で「闘士」を愛してやりたいと思った。