筑紫磐井氏の「<私>は残る」の意味と、ニヒリズムを超えて。

久しぶりに、調べものをしている途中、竹田青嗣の文章に丁寧に線引きをし、欄外にゴチャゴチャ書いている部分を発見して暫く追ってみた。
自分でも忘れていたが、もう10年以上前に記入したもののようだ。

”戦後理念”が思想上の営みを踏み出したとき、それが暗黙のうちにうしろだてにしていたものは、社会変革を実現する現実的なプランをより正確なかたちで見出すことができるはずだという世界認識への確信だった。この”正しい認識”への確信が揺らいだとき、同時に、人間の生き方の<意味>を支える根拠も不透明なものになったのだ。

(中略)

こういう場合わたしたちは、古典的な世界認識の「不可能性」を覗き込むより(むろんその確認は必須であるが)、むしろ人間の言葉や理念の根拠そのものにもういちど立ち返ったほうがいいのである。


人間の社会が続く限り、ひとはそこから内在的な矛盾と抑圧を受け取る。言葉と認識の根拠は、つねにただ、この内在としての矛盾と抑圧感を<世界>像として思い描き、そのことによって生に耐え、その苦しみを生きることの理由へと変えようとする場面で現れるのであって、客観的な<世界認識>の可能性といったことが問題なのでは決してない。


私小説は死んでも、ヴォバリー夫人の私の問題は消えないと小林秀雄はかつて語ったが、ここでもまた事情は同じである。


”戦後理念”の問題範形はほぼ死に絶えたが、そこで問題の言葉を編み上げた人生に対する人間の欲望の根拠は消えずに残っている。わたしたちはもう一度それをたぐり直し、ふたたび<世界>と直面する必要に迫られている。


竹田青嗣『”戦後理念”の行方』1986年「文芸」春号−

わたしは、少し長らく引っかかっていたことの正解に逢着したように思い、急に清清しい気分になった。それにしても、一生懸命読んだ痕跡は残っているのに失念している自分に苦笑してしまう。


筑紫磐井氏が、拙著句・評論集へ寄せてくれた
「新しさとは永遠にかわらぬこと。時代は変わっても<私>は変わらない。六林男の新しさを継ぐ渾身の詩業。」という帯文一節は、この文脈で理解できるものなのだと得心したのである。


わたしは、磐井氏の言葉を、古き時代の自分に固着したまま今を生きていく、そういうネガティブなイメージに受け取っていたのだが、そうではないのだ、磐井氏はこうした思想的文脈をキチット押さえた上でこの一節を書かれたのだと今更ながら氏の見識の高さに感じいったのだった。


それは、江里昭彦氏の拙著評『月日は流れ、<私>は残る』も同様、文字通りに受けとめてはいけないのである。


生の意味を内在的に掴み取れない困難な時代に遭遇して、ニヒリズムに陥る危険は誰にしもある。しかし、わたしたちは、「どっちもどっちだ」とか、「先のことは誰も解らないのだから、どの政策も誰も正しいといえない。だから相対的な意見でしかない。」などとニヒッてはいけない。


とりあえずわたしたちは、経験(歴史)の中に生きており、客観的真理などではなくて、一つの「信憑性」を生きているのである。
ほぼ社会の構成員が、一つの確かに実感したり合意したりできる地点という処があり、その「信憑性」が自分たちの生の欲望のありかたであり、それをシッカリ確認していく作業が必要ではないか、と思うのである。


プログをサーフィンしていて、若い人の中に、特にどうも大学院とかそれなりに知的に上昇した人に、一種のポストモダン風なニヒリズム−「”正しい”などはないのだ、どっちもどっちで私だけが<世界>の外にいて正しいことを知っている。」というニュアンスを感じ取り、長らく引っかかっていたので、十分な書き物ではないけれどメモとして記しておく。