御用評論家花岡信昭のたわごと

どこまでもジコチューの主観的願望しか書けない人だ。

ニッケイBPネット時評コラムの「民主党圧勝でも高揚感が薄いのはなぜか」と題して、トンチンカンなおよそ批評とはいえないような「グチ」を書いている。


民主党圧勝ムードで『しらけ』」という小見出しからして、読めば自分の心情
なのに、いかにも世間の『しらけ』が蔓延している如き誘導になっている。


「週間現代」の調査で、自民44に対して民主390という予測がなされ、それに慄いてそもそも小選挙区制は得票数とは別に議席獲得数がバイアスがかかってくるため、問題を孕んでいると指摘、しかしそれゆえに政権交替をしやすくする面で肯定もできる、というのだ。


しかし今の日本の小選挙区制は完全小選挙区制ではないため、小党が比例区で復活するような欠陥をもっており、この小党が二大政党の狭間でキャスティングボードを握り、議会を振り回す危険を孕んでいる。この選挙でそれが現実味を帯びてきたと、ひとりで「恐怖」しているのである。
こんな解りきった制度論を今頃なぜ持ち出すのか?


その背景は、社民党民主党との連立だから、政権につくと社民党の意向が前面化して、政策を牛耳るだろうと予測するのである。


花岡の「恐怖」は、民族ナショナリストには「恐怖」かもしれないが、わたしには一向に「恐怖」ではない。


根拠は、過去に公明党があれだけ憲法9条維持を主張しながら、法律論的には明らかに違憲自衛隊海外派遣をさまざまな理由付けによって容認してきたのをみれば、現状以上にこの「ごまかし行為」が悪化するとは思えないからだ。


むしろ、現実的な対処を迫られるなかで、どうすればいいかという論議が活発化し、「ごまかし行為」ではないとはどういう防衛外交と法整備がいいのか、という本質論へ立ち戻って論議できる可能性が出てくるメリットの方が重要である。
つまり、今の防衛論議はマクロの理念目標とミクロの現実防衛外交がむやみに錯綜しておかしくなっている。


「現実的」とは、理想を繰り込んで将来耐用年数の長いことを言うのである。従って、国民の(国家ではない)の将来目標を整理していくことが重要である。
社民党の問題には今たちいらないが、論法の筋道としてはそれが正しくないか。


すなわち花岡の論法は小ずるいと思う。
制度問題からすれば自・公とて同じ構図ではないか。公明党は弱小政党ながら与党として定額給付金2兆円を自民党が渋ったにも拘わらず自民と国会を振り回して成立させた。創価学会以外だれも望まず評価すべき効果もでていない。


花岡の論法は自民党と全く同じで、今までの問題や借金地獄には無反省で、ひたすら形勢不利となると単純な相手攻撃、狼が来るぞデマ流しに終始して、哲学の欠片も感じさせない。


生活者はだれもシラケていない。真剣そのものだし、マニフェストも運動員から手渡されるとほとんどもって帰る姿は今までにない光景である。


シラケているのは、恐らく敗北が既定事実化した自民・公明であろう。


我が家の周辺で聴く選挙カー民主党ばかり。
最寄り駅は、共産、民主のみであり、自民党の陰も形も見当たらない。
今朝学会が初めてマニフェストもどきを撒いていたが、民主党に比すべくも無い貧弱さで、ゴミ箱即行であった。