みたま祭
青嵐鳥居をくぐりまた鳥居
金色の菊の紋章夏至暗し
大扉開けて濁世の梅雨晴間
みたま祭さほど祈らぬ参拝者
軍服や遺影のなかの衣更
ぎこちなく笑う老兵夏日影
軍神の像より高く夏燕
風やがて一筋となり敗戦日
滴りの左右非対称性乳房かな
追悼 つかこうへい
海峡やつかこうへいの立泳
お見舞 大道寺将司君へ
睡蓮の夜のつづきを詠わんか
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六林男先生が亡くなられてからというもの、俳句作りはなおざりになっている。
俳句そのものより六林男と一緒に作句の現場にいることの方が楽しかったということに気づかされた。
二師にまみえずと決めたのはそんなとこころからだ。もちろんこれは師弟関係ということで、実際は未だに多くの俳人から密かに学ぶことばかりだ。
そんな気分でいるから、ブログ「句の無限遠点」も俳句は一割、時事ネタ九割。六林男先生は、「いまを書かない作家を信用しない」といった。その趣旨からすれば、「いま」を書き続けようとすることには違いはない。政治社会ネタの批評であっても、文学を内包しないものは批評というに値しないと考えているから、先生は苦笑いして許してくれるだろう。
(「六曜」の人々-P30)
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昔日へつなぐ手あらず椿山 出口喜子
短詩型をみごとに自家薬籠中の物としている。
わずか十七文字によって、天金の書一冊分もあろうと思われる内容を提示することができている。
この措辞をどう理解したらいいのか。「未来へつなぐ手」ならよく解る。しかしそれでは詩的表現としては陳腐である。出口氏の非凡さはここにある。
吉本隆明は、歴史は単線的に進化するものだという近代主義の歴史観を間違いだと気づいたのはマルクスだけだったという。しかしそのマルクスもその枠組みを解体することはできなかった。理由を二つあげているが、印象に残るのは次の記述だ。「歴史は外在(文明)史と内在(精神)史の二重化と、そのずれ、乖離によって総合されうる。そして歴史の外在(文明)史的な未来を考察することが、同時に内在(精神)史的な過去を解明することとが、同義である方法だけが、世界史の哲学や分類の原理となりうる。」(「アフリカ的段階について」Ⅳ)
(至高「出口喜子句集『羽化』一句鑑賞より」-P46)
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ひょっときてたこやきつまむ臨時工 至高
たこやきを喰い居れば総理辞す七変化 至高
(「食の俳句」毎日新聞『俳句あるふぁα』向け寄稿応募作品-P50)
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至高選「六曜五周年記念号」からの佳作共鳴句。
信じ合う田植の泥の滲みいて 石川日出子
遠太鼓緑ふくみて野を渡る 岩男 進
庭下駄の妣の履き癖秋の空 内本恵美子
海を見る少年の像夏の蝶 大門嗣二
糸底のざらりと触るる梅雨の入り 大城戸晴美
独唱に続く斉唱雨蛙 岡本 匡
新しき傷を増やせり夏の靴 角本美帆
一匹の蝿飛び廻る会議室 川原弘無
変身のカフカの虫の大き夢 河村 勲
玉葱と私を暗く干しにけり 喜多より子
ハーネスの犬の品格ねむの花 絹笠紀子
サッカーの夏家中に世界地図 坂部一子
告白のあとの静けさ蜜柑剥く 佐藤富美子
囀りをつれて来たれり乳母車 芝野和子
棺一基四顧茫々と霞おり 大道寺将司
新樹光素顔のままで歩きたし 田中晴子
サクランボいつも主役を真ん中に 谷 千重
堕落せりたんぼぼ強く踏みつけて 玉石宗夫
海色の朝顔の辺に沈み棲む 出口喜子
羅や風の強弱裾揺らす と川ひろし
五月雨の通夜一人辞し二人辞し 富川光枝
白木蓮傷つきしあとの道しるべ 長尾房子
帰る鳥池の面に見届ける 西 順子
はつなつの何を話そう糸電話 原 知子
嘘つきの天才がいて半ズボン 原 知子
夏の果汚れた顔して女たち 山田 遊
雨上がり雫の中にある世界 吉村由美子
水に満ち夕陽に満ちて田んぼかな 鷲尾規佐子
薫風に積木の不安委ねられ 綿原芳美
(以上あいうえお順)
【至高の寸評】
「花曜」時代からのベテランは別として、俳句のごく初歩と基本に無神経なのが気にかかる。
俳句の修練は、まず一句に「切れ」をどう作るかである。わずか一七文字が豊穣な意味と詩情を発散できるのは、ひとえに「切れ」の良し悪しにかかっている。
その「切れ」を有効ならしめるとすれば、基本は二句一章を心掛けるべきである。一句一章ではどうしても句が平板となり、多層的な意味を内包しにくい。
といって、これは一番難しく、これだけのために修練しているようなものではあるが。
今回掲げた句でも基本を直せばさら佳くなる句が沢山見受けられる。それはとりもなおさず、同人の今後の可能性であって、決して卑下嘆くべきものではない。
悪貨が良貨を駆逐する。ベテランの同人は、悪貨に引きずられないよう注意したいものである。