俳句小論、 至高著:死刑囚大道寺将司全句集『棺一基』の「存在倫理」

「詩人の空想する幸福なんてものは、どうせ現実の世界で実現される筈もない」と自虐的に言ったのは萩原朔太郎であった。そういいながら朔太郎は詩にとどまり詩人を全うした。しかしときに空想した幸福の現実化を信じ、世界の矛盾と哀しみを引き受けてしまう詩人が現れる。だが詩人が言葉を捨てたとき、ひとはテロリストと呼ぶ。
 わたしは大道寺とは同世代で、七〇年前後は同じ「磁場」にいた。わたしたちの「ひとつの志」が潰えていこうとしたとき、わたしは言葉にこだわり言葉へ傾斜していった。大道寺は生真面目なゆえに眼前の「悪」へ実力で挑んだ。ところがこの句集を見る限り、言葉に傾斜したわたしの俳句は、技術的問題は別にして大道寺の足元にも及ばない。皮肉な話である。大道寺の「句業」がいかにすさまじい「苦行」を伴ってきたかよくわかる。それはあの「現場」から決して逃げられない、逃げることを禁じられた者のみが抱える絶望的な孤独と純化から紡ぎだされた作品だといっていい。
 言葉は経験である。彼が生活者としての経験を二十歳過ぎに切断されたままであるにも拘わらず、このリアリティを保持していることに驚嘆する。獄舎の日常詠であり密室の中の空想なのだが、場所の限定を飛躍して迫るものがある。おそらく彼は拘禁後も生あるかぎりソクラテスのいう「魂の世話」をしてきたのだろう。自己の欲望と価値に正対し、突き詰めると塀の内と外を超越してしまっていた。表現は脳で作られるわけだが、それには身体領域における感受が前提となる。彼の身体は拘禁され極めて微量な感受しかできないはずなのに、生のもつ普遍的なリアリティに到達しえている。体験の量によってではなく偏に想像の純化によって、魂はどこへでも飛翔する能力を獲得した。そこでは彼にとって五七五の定型は、「器官なき身体」(ドゥルーズ)なのだ。自己価値の戦略として定型詩を組織することで「生き生きした」生の刻印をなしている。それは悔恨や懺悔であってもである。
 花影や死は工(たく)まれて訪るる 
大道寺はこまめに死刑執行の事実を句として残している。獄舎内の気配で死への招待が誰かにあったことを察知する。その招待は何者かに「工まれて」やってくるのである。近代法思想は国家の殺人を二つ許した。ひとつは戦争であり、もう一つは死刑である。わが国民は死刑制度容認が過半を超えており西欧先進国とは異なる。一神教絶対神の不在は、神の前での「罪の意識」も「内的確かさ」(倫理)もあり得ない。あるのは共同体からの眼差しによる「外的確かさ」(道徳)だけである。そこでは諸個人の倫理の不在と、国家と法の意味機能は顧慮されぬまま道徳の応報感情だけが露出する。
 方寸に悔(くい)数多(あまた)あり麦の秋      
 実存を賭して手を擦る冬の蠅    
 咳(しわぶ)くや慚愧に震ふまくらがり    
 いなびかりせんなき悔いのまた溢る  
 夕焼けて囚はれの身を肯(がへん)ずる    
 蟇(ひき)鳴くや罪の記憶を新たにし    
 額(ぬか)衝(づ)くや氷雨たばしる胸のうち  
 狼の夢に撃たれて死なざりき    

これらの句群は、悔恨と懺悔。二句目はもちろん冬の蠅に自己投影しているのだが、「実存を賭して」の措辞は彼の内面の叫びだ。同時に六〇年代後半の世代に広く受容されていた「時代の言葉」である。七句目「額衝くや」の句は秀逸である。季語「氷雨」がこれほど活きている句を知らない。最後の「狼」の句の狼は、大道寺たちのグループ名東アジア反日武装戦線「狼」であろう。「狼」の夢によって、はからずも無辜の民を殺めた。民の幸せを願った闘いが逆に死を招いた。この背理を生きている。「存在倫理」の直接的な表白である。
  革命をなほ夢想する水の秋   
  本懐を未遂のままに冬の蜂   
  狼や見果てぬ夢を追ひ続け  
  春疾風なほ白頭に叛意あり  

テロルは無効であった。だが社会的矛盾は残る。句集にはアイヌ在日朝鮮人等のマイノリティへの共感、格差矛盾への憤りなどの句が幾つか記されている。これらはいわば革命幻想の未遂の想いである。蹉跌を経て永続革命者たらんとする大道寺がいる。わたしが拘ってきたものは、未遂からの転生である。「正義」は絶対的であったか、また「正義」から見放された体験をどう回収するかということだった。主観的正義は所詮過誤的であるほかはない。ではすべてが価値相対主義かといえばそれも違う。絶対的に正しい思想(正義)が「ある」のではなく、その思想(正義)が「およそ普遍的な『正しさ』に達しうる認識の条件はあるのか」(竹田青嗣)という難題である。過誤的主観の中から普遍的な認識(間主観的認識)が成立する「条件」を取り出していく作業である。社会的諸関係から切断された彼には無用な領域かもしれない。しかし「時として思ひの滾る寒茜」と詠む大道寺としみじみと話し合ってみたいものだ。
  瓦礫選る女濡らして鳥帰る  
  水底の屍照らすや夏の月   
  “ありがと”と亡き母に女児辛夷咲く  
  胸底は海のとどろやあらえみし   
  無主物を凍てし山河に撒き散らす  
  若きらの踏み出すさきの枯野かな  

 三・一一東日本大震災の佳句を抽出した。彼が弱者への「共苦」を生理のようにしていることが理解できる。被災者への応援歌である。獄舎で見てきたように書いていることが問題ではない。所詮文学などは見えないものをさも在るかのように書くものである。当事者性や素材を特権化することは文学の幅と柔軟性を欠き貧弱なものにする。正しくは戦後最大の事件と悲惨さに言葉が届いているかと問題は立てられなければならない。特にフクシマ原発事故は、近代科学思想の終焉を強く印象づけた。辺見庸氏は「大震災は人やモノだけでなく、既成の観念、言葉、文法をも壊した」と述べて「ことばが生起したことからおいていかれ、ひきはなされ、(略)本質の深みにせまることはできていません。」と指摘。そして「語りえない言葉を、混沌と苦悩のなかから掬い、それらの言葉に息を吹きかけて命をあたえて、他者の沈黙にむけておくりとどけること」(『瓦礫の中から言葉を』)だと提言する。小生も震災句は詠んでいるが、大道寺ともどもはたして「他者の沈黙」に届いているだろうか。このテーマとの格闘は始まったばかりである。
 棺一基四顧茫々と霞みけり  
文句なしの秀句である。人間の評価は棺桶に入った時に初めて確定するといわれる。このとき作者はどこに位置しているのだろうか。宙空から己の屍を幻視し、「工まれて」くる死に備えて自身を統ぶる暗示なのだろうか。それとも棺の中からなおも永続革命者の夢を抱き続けるのだろうか。時代は茫々と霞み定かではない。
(『六曜』N027,2012,6,1発行所収)
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