小沢一郎は無罪だ!明日の無罪を信じる。

明日26日は、小沢一郎陸山会事件の判決がある。
無罪以外はありえないのだが、なにせ最初から謀略の渦がしくまれていたのであるから、予断は許さない。

詳細は多くの小沢ウォッチャーが書いているので省く。ただこの事件の発生直後から一年間集中的にブログアップしてきた身としては、ひとしおの感慨がある。
小沢一郎を別に支持していたわけでもないのに、検察の常軌を逸した動きとマスコミの言論ファッショを目の当たりにして、日本はどうなってしまったのだと危機感をもった。

調べるほどに、福島県知事の冤罪事件、原発利権にまで張り巡らされたCIAとジャパンハンドの存在、村木冤罪事件、など日本の暗部が浮かび上がり、小説よりも奇妙な司法検察の特権とデタラメさがイモ蔓式にでてきて、まる一年はこの事件を軸に精力的に書いた。

なかでも、小沢憎しだけで、日頃高尚な言論をはっていた左右両派の学者評論家文化人が、民主主義の論理も人権認識もかなぐり捨てて悪罵と被告人に不利益をと叫んだ姿を露呈した。

彼らの言動は決して忘れてはいけない。
おそらく、明日も明後日も、判決に関係なく、検察の無法はに沈黙し、保身だけで小沢を攻撃するだろう。

「政治と金」などという空虚な政党政治にはまったく問題とならない問題をデッチ挙げたマスコミは戦前戦中と全く進歩がないことを露呈した。

三上治氏の論考をお借りしながら、完膚なきまで思想的批をしつくした。
立花隆などの東大言論が、相変わらずクソの役にもたたないフェティッシュにすぎいことを衆目にさらした。

戦前の軍部が、右翼や転向左派と一体となって、金権政治の腐敗をあおって、リベラル政党政治を潰していった反省など全く視界にはなかった。なにしろ立花のようなジャーナリストが軍部のけつもちで政党人を攻撃し、戦争遂行の露払いをしたことは誰でも知っている事実だ。
今回、全く同じ構図が出来上がり、恐ろしいのはリベラル左派や市民主義者が戦前と同様検察正義を支持したことである。

小沢の人権を守ろうとした人々は、イデオロギー抜きの本当の民主主義的市民であり、良質な保守派であった。

その人たちが、ツイッターやネットを介してデモを企画し、検察の不当性と冤罪を論理的に暴いていったことは特筆すべきことであった。
ここに戦後民主主義の積極的な評価できる。

これらはまた判決の結果をもって総括すべき時がくるだろう。

ここしばらくブログには小沢事件は書かなかったが、検察包囲をといたわけではない。
とりとめもないことを書いたが、小沢無罪を願って、何か書かずにはいられなかった。