事件が世情を賑わせてからも、相変わらず昭恵夫人は、籠池夫人とメールをやりとりしていた。
女同士の腹の探り合いと、論理のない激高返信でよくわからない女同士の会話だが、昭恵夫人の空っとぼけたソフト恐喝が怖い。
どこがピュアなひとなのだ? あのメールを打てる汚い度胸は見上げたものだ。
晋三さんは、いきなり国会答弁で「妻の携帯が水没した」と述べるし、よくまあ子供だましのような嘘を平気でつくものだ。
しかしどのような籠池発言否定をしたとしても、権力の工作を施しても、偽証罪が問われる証人喚問を拒否している限り、誰も信じないということだけははっきりしている。
法的に抵触するかどうかだけで政治がやられるなら、法が公共性を完璧に担保しているという前提にたたなければならない。
そんな完璧な法はあり得ず、法の成立過程は矛盾が発生し、それを公正化していくため、遅れて規制が後追いしていく立法行為である。
ということは、法以前に道徳が要請されているのが現実の政治であり、政権の在り方でなければならない。
総理夫人という「私人」が、昂然と公費で秘書を五人も官邸内に置き、昂然と公権力に介在していることは、陳情をうけるのが政治で何ら問題ないなどとしたり顔で言うTVコメンテーターの感覚がどうかしている。
法に触れていないのだから、安倍総理は、忖度があった官僚の行き過ぎだとみとめれば混乱は収まる、という松井知事の発言は、上述の観点からすれば、外道といわざるを得ない。
松井知事の「混乱は安倍総理に対応に原因がある」という発言を歓迎しているリベラル派もいるが、とんでもない誤認だ。
こういう外道がまかり通る維新の会とはいかなる政治集団なのか、呆れてものがいえない。
「私は学校経営(宇都宮市の学校法人「作新学院」学院長)も、政治家もやっている。その二つが一緒になると、常にあの手のことをやっているのではないかと誤解される。それではたまらない。私学全体の名誉のために、森友ケースは異常だと言いたいのが一つ」
「もう一つは、自民党の中でものを言う人が少なくなった。石破(茂)さんが頑張っているが、なかなか広がらない。自民党にもいろんな考えの者がいるということを国民の皆さんに知ってもらいたい」
同じ学校経営者からみてどう異常なのか?
「払い下げのペースの速さと、値切り幅の大きさだ。私もかつて大学(作新学院大学)を作る時に関東財務局から国有地の払い下げを受けたが、大変な作業だった。予定より2年遅れてようやく認可、職員の一人が病気になる(その後死去)など苦い思い出がある。もちろん値切りも分割払いという恩恵もなかった。そういう過去を振り返ると、今回は、何か見えない力が働いたとしか思えない」
見えない力とは?
「安倍昭恵夫人の話をしなければならない。一私学をこれから募集する、作る時、そういう学校の案内パンフレットに名前と顔と挨拶(あいさつ)文を出してしまい、放置したのはまずかった。その場で断り切れなくても、その後、取り消しができたはずなのに今年2月までそのままにした。脇が甘かった。首相夫妻が全面的にヨイショしたわけではないだろうが、それを容認したことによって、役所側が忖度(そんたく)、慮(おもんぱか)った。総理が後ろにいるんだとしたら、一役人がけしからん、待て、とやればクビが飛ぶんじゃないか。そう思わせてしまった。森友学園の籠池泰典理事長がそれを悪用して、役所にギリギリ詰めた。多分両方の要素があったのではないか」
「教育内容にも大きな疑問がある。まっさらな子供たちに教育勅語を暗唱させ、『安倍首相がんばれ、安保法制国会通過よかったです』というのは、洗脳ではないか。そういう教育がまかり通る世の中にはしたくない」
まっとうな指摘ではないか。このつぶやきがもし自民党内で共鳴、拡大していかないのであれば、安倍1強体制というものの健全性に疑いを抱かざるを得ない。
今回はもう一人の人物にも森友問題を解剖してもらおうと思う。藤井裕久氏である。
「財務省は返り血を浴びる」
元財務官僚。財務(大蔵)相を3度務めている。自らの戦争体験に照らし、安倍氏の右寄り歴史観に一貫して懸念を表明してきた人でもある。森友問題と安倍政治の関連をどう語るか。聞いてみたかった。まずは、財務省という役所についてである。9億円の国有財産を1億に値切る。そんなに融通無碍(むげ)なところなのか。
「その正反対だ。役人というものは世間でいう頑迷固陋(がんめいころう)なもの。前例を大事にする。逆に融通を利かすことには大きな抵抗がある。私の経験で言えば、特に財務省はそういう役所だ。そういうことからすると今回、財務官僚たちが独自に判断したとはとても思えない」
財務官僚が忖度した、と言われるが?
「忖度以上のものがあったのではないかと疑う。忖度というほど役人は頭が柔らかくない。どこかから圧力があったのではないか。(圧力をかけた)許しがたい人がいるのではないかと思う」
この手の案件は通常どう処理されるのか?
「一言で言えば、国有財産をまけろ、という話だ。まっとうな近畿財務局長なら本省理財局長に、まっとうな理財局長なら財務相に相談するだろう。私が財務相だったら、こんなバカなことが何で許されるのか、と必ず言う。先輩の大平正芳さん(元蔵相・首相)、福田赳夫さん(同)らもこんなことは許さなかっただろう」
だが、結果的にことが起きてしまった。発覚後の対応としてはどうする?
「即刻是正しろ、と言う。これがまかり通ったら、財務省は世の中の信頼を全く失うんだよ。税金を徴収する役所だよ。消費税どころではなくなるぞ、と」
どうやって是正する?
「そのやり方は君らで考えろ、と」
役人や大臣の責任が問われる、という形で財務省が返り血を浴びる可能性もあるのでは?
「仕方がない。それが公務についているものの責任だ」
先輩として財務官僚に言いたいことは?
「今の政権が長続きする、という空気があったとしても、もう少し財務官僚として筋を通してほしかった。正しいことをやる、クビになってもいい、というぐらいの気持ちでやらなければダメだ、と言いたい」
安倍政権下で不興をかこつ財務官僚だが、むしろそれゆえに毅然(きぜん)と政治に立ち向かう気骨を見せてほしい、ということだろう。藤井氏の出身母体に対する強い気持ちが伝わってくる。一種、官僚のあるべき姿論である。
ただ、藤井氏がそれ以上に強調したのは教育問題のほうだった。同氏にとって森友問題の本質は、国有地をめぐる疑惑以上に、幼児に教育勅語を暗唱させる戦前回帰的な時代錯誤教育が、時の政権の歴史観と共鳴する関係の中で生まれてきた、という点にあった。
「戦前ですらあんな教育はなかった」
「日本会議」のメンバーでもある籠池氏が、“安倍歴史観”を教え込む教育の場を、幼稚園から小学校にまで拡大しようと動き、それを悪(あ)しからずと当初考えた安倍氏側が首相夫人の名を貸して結果的にこの籠池流教育商法をサポートした。多分、安倍政権下でなければ実現しなかった国有地払い下げであり、学校認可ではなかったか。地元市議の追及がなければ、そのまま小学校は開校していたかもしれない。籠池、安倍両氏間のこの相呼応した相互関係が、戦前を知る藤井氏にとって、安倍政治に対する懸念をますます高めるものにしたようだ。
「籠池氏のような教育をする人間が、幼稚園はもちろんのこと、小学校を作ることを許されるのか。僕が安倍氏に一番言いたいのは、ああいう偏った歴史観を持った人が安倍氏をあるべき政治家の理想、シンボルだと思い込んでいることだ。そこをもっと反省してもらいたい」
「私は日中戦争がはじまった年(1937年)の4月に幼稚園に入ったが、『日中戦争に勝て』なんて話は一つもなかった。12月に南京陥落。その時だけは園内で旗行列したのを覚えているが、それ以外はあの時代ですら、幼児にあんな教育をすることはなかった」
藤井氏からすれば、戦前でさえそうだったのに、森友ケースは何をかいわんや、ということであろう。
あの時代から学ぶべきは教育勅語ではない。二度と戦争を起こさないためにどうするか、ということではないか。それを安倍政治はわかっているのだろうか。
そこで藤井氏は「政治家としての原点」として、二つの戦争体験を披露してくれた。
「一つは忘れられない記憶だ。44年8月から翌春まで東京・小平に学童疎開していた時に目撃した。はるか頭上で米機B29と日本の戦闘機が激しく撃ち合い、最後は戦闘機がB29に体当たり、ともに火を噴きながら墜落したことがあった」
「すぐさま友達と墜落現場に向かった。救出のためでもやじ馬でもない。情けないことだが、食料探しだった。米軍は食料を大量に持っていると聞いていた。毎日空腹だったからビスケットぐらいはあるんじゃないかと、期待した。だが現場には、米兵の無残な遺体が横たわっていただけだった。8体ぐらいか、手足や胴体がバラバラ。女性通信士も乗っていたのか、赤いマニキュアの片腕もあった。惨状を目の当たりにして子供心に『戦争には勝者も敗者もない。国民に犠牲が出るんだ』と思った」
もう一つの体験は、敗戦の年の45年5月、藤井氏が東京高等師範学校(現在の筑波大学)付属中学校1年の時のことだ。学校の教師からいきなり「君、金沢に行ってくれ」と言われ、同学年から選抜された30人で、金沢市にあった旧制四高(現金沢大学)に缶詰めにされ、短期集中的に英才教育を施されたことがあった。
それは「特別科学教育」というものだった。戦争末期になって、科学力における彼我(ひが)の差を知った日本が、今さらながら科学振興の底上げをせんとしてなした教育プログラムであった。
44年9月、永井柳太郎氏によって「戦時穎才(えいさい)教育機関設置に関する建議案」が衆院で建議され、高等師範付属中学校を軸に全国ネットで俊才を集め、45年1月からその授業が開始された。高等師範の教官がじきじきに中学生たちに旧制高校(現在の四年制大学教養課程)レベルの授業を行った。
藤井氏も物理学の世界的権威で当時、原爆開発に当たっていた仁科芳雄博士の授業を覚えている。
「振り返ると、当時は新型爆弾と言っていたが、日本も早く原爆開発にたどり着かなければいけないという、一種の国策プロジェクトだったと思う。微分積分からアルキメデスの原理まで教わった。科学の実験や実習にも重点が置かれていた。しかし、すでに米国ではマンハッタン計画が終了し原爆が出来上がっていた。その時に日本では子供に英才教育だ。国家の構えとしては、とても話にはならない。ただ、それが軍国日本の実像だった」
戦争というもののこれ以上ないという惨劇。そして、それを構えるにあたっての国家としてのあまりの準備不足。あの戦争の本質というべきものであろう。それを今時、自らの実体験として自らの言葉で語れる政治家は稀少だ。
「首相は一日も早く辞めてほしい」
その藤井氏からすると、どうしても安倍氏の歴史観には違和感がある。「歴史認識問題は、戦後70年談話以降、議論しなくなったが、私の脳裏には中国に侵略したかどうか、について明言を避ける安倍氏の姿が消えない。日本国の最高責任者としては侵略でしたと明確に言うべきだった。あの戦争への反省が欠けている」
「戦後レジームからの脱却」という言葉も気に入らない。
「戦後レジームとは、私に言わせれば、あの戦争を深く反省し、軍事力は極力抑える。集団的自衛権の行使も海外派兵もしない、という原則を世界に対し維持し続ける体制だ。吉田茂さんが路線を敷き、歴代首相が守ってきた。安倍氏の祖父の岸信介さんも『(集団的自衛権は)日本国憲法のもとでは行使できない。個別的自衛権で対処する』と明確に答弁していた。皆が皆、集団的自衛権行使には改憲が必要という認識だった。孫の安倍さんが解釈変更だけで、海外派兵できるようにした」
「森友疑惑」を生み出した核心には安倍政治がある。さらに言えば、それはまたいつか来た道につながる恐れがある。それが、藤井氏の最も言いたいことなのだ。
「かつて田中角栄元首相がこう言った。『戦争を知っている人間が社会の中核である限り、日本は安全だ。しかし、戦争を知らない人間が中核になった時が問題だ』。まさに、田中さんが危惧した時代に突入している」
藤井さんが出演するTBS番組「時事放談」ではないが、最後に声を大にして言いたいことは?
「安倍首相よ。力を持ったからと言って驕(おご)るなかれ、驕る平家は久しからず、ただ、春の夜の夢のごとし、だ。もっとはっきり言いましょう。安倍首相には一日も早く辞めてほしい」
そこまで言いますか。
「ハイ。そうでなければいずれ私が鬼籍に入った時、小学生のまま空襲で無念の死を遂げた友達に殴られます。焼夷(しょうい)弾の直撃を受け、即死だった。東京大空襲でいまだにどこにいたかわからない子もいる」
安倍一極化で、今やあまり聞けなくなった老政治家の覚悟のこもったメッセージである。
ふなだ・はじめ
1953年生まれ。衆院議員。自民党憲法改正推進本部長代行。裁判官弾劾裁判所裁判長ふじい・ひろひさ
1932年生まれ。大蔵官僚を経て政治家に。財務相、民主党最高顧問などを歴任くらしげ・あつろう
1953年、東京生まれ。78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局、整理、政治、経済部。2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員(サンデー毎日4月2日号から)
http://mainichi.jp/sunday/articles/20170319/org/00m/070/007000d