森友事件の政治(安倍夫婦)と官僚の「忖度」

森友事件の財務省官僚は、安倍総理夫婦の声が聞こえ、日本会議の名刺を目にし、維新の会の府議に恫喝され、理財局迫田局長がおそらく直接何らかの指示をしたなら、安倍夫婦が直接関与しなかったとしても、これはもう情況的に安倍からの意向であると受け取らざるをえなかったはずだ。
まして、内閣人事局生殺与奪の権を握られていれば、なおさら敏感になるのは当然であろう。
官僚出身者たちは、こぞって有能な官僚が、法的に逸脱することが解っていながら忖度で自分の馘を締めるようなことは絶対しないといいはっているが、果たしてそうだろうか。
今回あれだけ「特例措置」の理由をつらつら書かざるを得なかったのは、最後は穴持ちは官邸が取ってくれよという意味ではなかったか。最初から指示があれば、ストレートに政治家何某からの要望による配慮だと簡略に記述したはずだ。直接的な指示はないが「天の声として聞こえた」ということだろう。そして籠池側は「神風が吹いた」と感じた。
今の官僚は忖度で法に触れることはしない、という言説にはたしてそうか、と疑問を持つ、いな日本人には忖度が美徳とされ、忖度できる者は有能であるという無言のマインドが支配的ではないのか。
1929年たるんできた軍隊を引き締めるために、戦陣訓として「歩兵操典」から「戦闘綱要」に更新した。
その綱領3は次のように規定している。

命令の実せんは独断を要する場合甚少なからずこれ兵戦の事たるその変遷測り難きもあればなり、故に受令者は常に発令者の意図を忖度し大局を明察して情況の変化に応じ自らその目的を達し得べき最良の方法を選び独断専行以て機会に投ぜざるべからず

命令の本旨に反しなければ、命令を受ける者は上の指揮をまつことなく情況に臨機応変に対応せよ、システム(法理)の合理性より上の意図に添っていると思えば独断でも構わない、といっているわけだ。統帥権と相まって軍における関東軍の独断専行などこの弊害は史実として周知のとおりである。
これは民間企業でも暗黙の「できる」社員の身のこなしとして長らく是認されてきた。
このリスクは、「上」の意図の読み違えたり、「上の上」の意図と「上」の意図が違っている場合などは、受令者が一身に責任を取らされる結果が待っている。
軍隊という組織効率の最大化を追求する規範は、戦前はあらゆる組織に浸透し、それは戦後も戦前の遺伝子として私たちの組織人としてのマインドを律してきたように思えてしかたがない。
財務省国交省、そして文科省の体質は図らずも戦前の前近代的遺伝子が戦後も罹患しながら発症しなかっただけで、政治が復古を求めた結果みごとに症状として露呈したといえるのではないのか。