映画「月」を見た、中途半端かなー辺見庸の原作知らんから、どうやろ?

映画「月」観てきた。
疲れた、久しぶりに梅田へでたら、迷いに迷って2時間近くウロウロして、たどり着いたときは、まさに開始直前。
17000歩歩いた、クタクタ。
というわけで、批評はまた温めて。
一言。
映画は、津久井やまゆり園障害者大量殺傷事件から辺見庸原作の「月」から。
監督やらの情報はネットで参照されたし。
宮沢りえが演技過剰で好きでない。
オダギリジョーは大好き。
重いテーマにテーマ負していはしないか?
原作は読んでないから、イマイチよく分からないのだ。
犯行決意の青年に対して、認めない、あなたの言うことは認めない、と叫んでも、なぜなのか、青年の犯行思想の反論になっていない。
描写の中で反論している風にも見えない。
これが、大島渚なら、しっかり論戦させて、圧倒的に思想の深化を観客に見せるだろう。
その答えにしたと思われるのが、第一子を障碍児として死なせた夫婦が、第二子をの胎児をどうするのか、事前検診をするのか、したとして障碍児であったらどうするのか、障害が分かったとしても産むという二人の結論が描かれるならわかるのだが、お互いにこれからも愛していくよで終わってしまって、中途半端やなー。
で胎児の結論はどうすんのよ?
つまり、胎児事前検診の不具合の場合、98%が堕胎するらしいと宮沢りえの母親に言わせているからだ。これは優生思想だと監督は解っているからこの夫婦の妊娠と愛の物語を低音伴奏として描いているのではないか。
そうみると、二人の出会いの記念日に結論を出すと進行しながら、どうしたのよ。監督の優性思想への批判を滑り込ませるのかと期待したわけだ。
テーマに絡めて書くと、多分1300枚くらいにはなるね。
心はあるのか、心とは何か?
障害者は人間であるのかないのか?近代の人間概念とはなにか?
人権概念とは何か?
人間の幸福、善とは何か?
まさに近代のアポリアを、犯行の青年はえぐってみせたのです。
功利主義のアプローチ。
リバタニアリズムからのアプローチーリバタニアリズムを超えるカントの自由論の人間規定。
美徳からのアプローチーアリストテレスの徳を積む論
これらを、丹念にクリアしないと、犯行青年の殺人根拠は崩せない。難儀な問題なのだ。