斎藤幸平『マルクス解体』読了簡単メモ

関西現象学研、
斎藤幸平「マルクス解体」読了。
一回で平らげるので、学術書は大変。
時代のニーズにあった環境問題をマルクスから引き出している点で、学べることも多かった。
文献解釈の本としてみると、労作であっただろうと推測できます。
 
特に、新プロメテウス主義の批判は、新左翼含めた唯物史観からくる生産力至上主義の過ちをみごとに批判しつくしており、新左翼諸君は読む価値があります。
 それは、現在新たなテクノジィーで自然との物質代謝過程の亀裂を克服するという加速主義をもみごとに批判し、彼はマルクス主義者として初めてコミュミズムの「低成長」を主張する。
資本主義のあまりに急激な成長を淘汰すること、あるいは労働者の協働(構想と実践の統合)の管理の元では、当然「低成長」になるのだと。それによる、人間の豊かさは倍増するのだと。
なお、第7章の労働社会の未来予測については、旧来同様の「夢」の感じもしないでもない。
この人は、企業や工場で働いた経験がないため、楽観的過ぎるんじゃないの、という感想。
不満と疑問点。
市民社会論がないーヘーゲルやってるのに自由の問題が語られない。唯物史観(生産力主義)批判の文献解釈学だから端折ったのか?
➋「個人所有」の概念がいきなり出てくるが、平田清明いらい曖昧の概念としていま一つ解らない。
➌「経済思想家」と自称するが、マルキストはやはりみんな革命論=権力論を語るのだがそれが皆無というのが、今時風なのかな。但し、本人はボランティア活動にいくつかかかわっているとのことだ。革命政治運動とは距離をとっている。
➍私の疑問は、自由の問題だ。生活の豊かさはどういうものか。
つまり資本主義での絶え間ない「希少性」は問題なことはわかる。しかし、ひと人がワクワクする、とか、新しい使用価値を手にしたり、生活シーンでのワクワク感=「麻薬としての自由感」は捨てて、何か別なワクワク感がありうるのか?
歴史的に、人間は自由の感覚、特に資本主義では自由の感覚が膨大に解放された時代だ。このところがいま一つイメージが湧かない。
 
本当は、今後折にふれてこの本に触れざるをえないだろうことを思うと、
もう少し丁寧にノートをとっておくべきだろう、と反省。