■検察(警察)権力は過去にも誤った

ご協力いただきました結果、人文の部総合で、ランキングがいきなり62位に上昇していることが判明しました。


開設してまだ半月たらず。ため息のような堅い退屈な記事を読んでいただき、御礼申し上げます。


別にランキングを目当てに書いているわけではないのですが、書くからにはいくらかでも皆様の参考になったり、刺激になったりすればいいなと思い、自分への叱咤激励の目安としています。


本来は、俳句と文芸鑑賞をコツコツ書くつもりでしたが、日本が初めて国民の意思で政権交代の芽を育てたが、既得権益利害関係層が国家権力を発動してこの歴史的な芽を摘もうとしている事体を前に、そんな悠長なことをしていられるかという思いが政治ネタばかり書かせた。


わが師鈴木六林男は、「今を書かない俳人を信用いない」と言った硬骨の俳人
戦前、歌人俳人詩人すべてが、天皇イデオロギーに排躓し、戦争賛美の詩を詠った。その中で、俳句だけが特高警察による「京大俳句弾圧事件」という冤罪が引き起こされ、西東三鬼ら15名が深く傷ついた。
戦後俳句はその傷跡と反省から出発したはずなのだが、いまこのような国家権力=検察の一罰百戒という法の下の平等を無視し、政権与党とメディアの被告人の「推定無罪」の原則も無視した「悪人説」大キャンペーンをみても、俳人の危機意識は希薄のようである。


もとより、社会的事件と文芸が直結していなければならないなどと言うつもりはない。しかし、ひとりの人間として絶えず情況との緊張関係を内的にもたない創作は、ただのナルシスか悪しきロマン主義でしかないという経験に答えておかなくてはならない。


とまた繰言を申しました。