『鈴木六林男没後10周年によせて』

六林男没後十周年によせて

             
(今回対談の未発表稿を修正して寄稿します。なお筆者は略称Mで記していま  す。)

U 六林男没後十周年ということですが、この十年いかがでしたか。

M 速いですねー、果実は句集一冊のみ、残念ながらわたし自身はたいした成長も成果もでていません。

U ふりかえって、改めて六林男俳句をどう評価していますか。

M 新しい評価は特にないですね。俳壇的には急激に六林男作品の露出が減り、読まれなくなった感じがします。戦争という時代を象徴する俳句であってみれば、止むない面はありますが、社会全体が右傾化していますからそれに相即的なのでしょう。もっと今こそ読まれて欲しいと思いますね。そういいながらわたし自身が戦争にまつわる句を作るんですが、どうもしっくりこない(笑)。戦争が遠い過去のもので若い世代がリアリティーをもてないということもありますが、俳人にとって戦争俳句は反戦を含意していた。冷戦時代が終わってみると、米国の核の傘のもとでの平和であり、沖縄の犠牲的な米軍基地負担の上の平和であったことが露呈してしまった。その後湾岸戦争では巨額の戦費を負担し、イラク戦争では米英に世界で唯一支持表明をした国家となり、国連決議もないまま米軍と軍事行動を伴にした。冷戦時代は九条は日米安保とセットであり、冷戦崩壊後は国際貢献の美名の罠にはまった戦争遂行国家そのものになった。絶対平和を唱える日本人は、外からみれば自己欺瞞そのものでしかないにもかかわらず、絶対平和言説の空洞化を直視せず九条守れと題目を唱える。結果的に思考停止に陥っている。このように戦後の戦争俳句が含意した反戦という共同性がそこにはもうないのです。反戦の政治性は、俳人を紋切型の党派的共同性に回収し、表現は空虚さを増すばかりといったところではないでしょうか。六林男俳句が読まれていくには、六林男以後のわたしたちの表現が、大衆の無意識の戦争の欲望を切り裂くインパクトが持てるかどうかということでしょう。反戦とショーヴィニズム(無意識の戦争欲望)の政治性いずれをも回避する位相を確保できるかどうか。そうでなければ、いつか来たおぞましい花鳥諷詠の世界へ転落する危機感はあります ね。実作でうまくいくかどうかは全く自信はありませんが。(笑)

U なるほど。俳人からのそういう視点はとても新鮮で、頷かされました。

M 六林男への批判は、大きく二点あります。それらは全く見当はずれだと思っています。一つは社会性俳句は社会主義イデオロギーで書かれた社会主義リアリズムである、というものです。六林男は別に社会主義イデオロギーのひとではないし、第一次戦後派で、人的交流からは近代文学派に近い。政治目的に俳句を従属させプロパガンダにしているわけでもありません。俳句表現においてどこが社会主義リアリズムとそうでない俳句なのか原理的区別も示さずに戦争や労働者を題材にしているからだというのは、悪しき素材主義からの評価といえると思います。もう一つは、昭和の戦争が遠のいてゆき、六林男俳句の反戦を感受する共同性を喪失していく、戦争俳句は時代をもう象徴できないがゆえに戦争をリアリズムとして書いた方法が通用しないという意味で六林男の衰弱がある、というものです。否定はしませんがそんなこと言っても意味がないでしょう。つまり一人の作家が生涯を通じて自己更新して新しい作品を作り続けたなんてまずいませんよ。ほとんど自己模倣に陥ります。それをいってもあまり意味はありません。それよりも時代に掴まれた作家がどう時代に応えたか、それが評価の中心でなければいけないでしょう。つまり社会性俳句の作家たちは、伝統派や人間探求派と比べれば、俳人名も作品もどんどん忘れられていく必然的な運命にある。なぜなら、一つの時代の体験が実存にとって重ければ重いほど、俳句一般として通じる感性や永続的なものを犠牲にしても、その時代=「現在性」に固執し、時代の固有性としての表現を追求せざるをえない。六林男は虚子や加藤楸邨のように戦争協力をしていい思いをした立場ではない。戦地で銃弾を受け体内に残したまま九死に一生をえて帰還している。これが俳人として「現在性」に固執しなかったらアホでしょう。(笑)花鳥諷詠への強烈なアンチですよ。
花鳥諷詠というと、なにか美しい風景ばかりを抒情的に詠んでいるものだと  誤解がありますが違うんでね。虚子だって人事も社会も詠んでます。対象が  自然循環に組み込まれた固定的なもの、社会も人事も変革の契機をもたない  ものとして観照する態度ーこれを北川透氏の定義でいえば「自然性を美とす  る感性を仮構したもの」です。つまり和歌的な詠嘆から社会性俳句は意識的  にズレていこうとした。それでしか戦争の泥沼をはった一個の実存を表現で  きないと感じたのでしょう。「永続性」を犠牲にしてでも体験の「現在性」  に固執した。その表現が支持された。作品は袋の内と外が反転してつながっ  ているように、また「時代性」は「永続性」へ反転してつながる契機をもつ  ものです。だから「社会性俳句」なんて呼称に惑わされたらいかんのです。
最晩年六林男は自分の俳句について、抒情性をそぎ落とした点につき、小野  十三郎の影響をわたしに告げて、だけど「やはり俳句も歌の一種やからもう  少し抒情性があってもいいんやろうけどな」といってましたね。で、自分は  抒情性のある俳句を書こうと。(笑)

U ところでMさん個人の六林男との付き合いはどんなものでしたか、なにかあれば。

M 『花曜』入会後六年ほどして、六林男がわたしの下手くそぶりにみかねたのか、毎月三十句もってこいと言われて提出すると、びっしり添削して返してくれました。五か月ほど続きました。今考えれば無償の指導に感謝ですね。それでやっと七年目に会員から同人になれたわけです。ほかには梅田句会の帰りは御堂筋線は六林男とふたりだけなので、俳壇の人間模様にはじまり裏話など多岐にわたりよく話しました。戦地の体験談は今でも貴重な遺産です。