■中川右介=菅直人的市民主義への批判を絶賛に御礼!

先日2月25の中川右介氏(菅直人の黒子)への批判を軽いのりで書いたのだが、各方面からよく読まれて好意的な評価を頂いた。

とりあえず、読者にはこの場を借りて御礼申し上げます。

とはいっても、読者はかなり細い系譜で、若かりし頃全共闘運動や市民運動に主体的に関わりつつも、いまもって当時のモチーフを真摯に抱き、個人で格闘している、そんな像が結べる人達のように推測できる。

すなわち、全共闘運動にあっては、ロシアマルクス主義党派とは一線を画し、市民運動の虚偽に悪しきモダニズムを嗅ぎ取り、無党派としてマルクス主義さえも近代主義として超えようとした人々。
この無党派には、思想的にみれば、明治以来のアジア主義、戦後は安保破棄による日本の自立、そしてスターリニズムの人権抑圧とソ連の解体、民主主義の一層の徹底、なかでも直接民主主義を志向した。

この系譜は、戦争遂行の精神的支柱となったとして戦後民主主義派が切り捨てた安田興重郎など日本浪曼派を評価し、アジア主義竹内好を評価し、北一輝の革命論に共鳴し、三島由紀夫を耽読し、江藤淳に一定の評価を与え、なによりも吉本隆明の立ち位置と自立論を受容したのだ。

なかでも、中国共産党毛沢東派にすりよる連中を、親米隷属派と同等の愚者として軽蔑した。
中国なら、後に田中角栄と硬い握手を交わした周恩来を評価したものである。

今こうした精神性を内包した人達が、菅直人仙谷由人などを全共闘だとか市民主義だとかといって、似非保守派と現実保守派が思想を持たぬまま思想のない政治家を批判るから、同類とみなされてはなはだ迷惑をこうむっている。

こうした似非保守派や現実保守派が思想性の浅さによってごっちゃにしか視えない"真正"全共闘派には、菅政権や既存の政党は全く評価できないし、小沢一郎にも、カッコ限定付きの評価しかあたえられないのである。

菅直人の市民主義や、仙石・前原などの構改派は、結局小泉改革の「小さな国家と自由」という入り口論に飛びつき出口論で騙されたリベラル勢力なのである。問題は、騙された自覚もなく、今や小泉内閣以上の親米隷属路線へ舵を切っている。

騙された自覚がないがゆえに、マニフェストの重みも自覚なく、実現しようとする乾坤の献身もないのである。
彼ら自身がただのモダニストでしかなく、新自由主義に漂着するものたちだったということだ。


"真正"全共闘派の細い系譜は、途切れることはなく続くだろうといいたいが、残念ながらわれわれの怠慢と情報量の圧倒的な劣勢で命脈尽きようとしている。

それほど日本的なるものを喪失し、中国という敵をつくることによってしか自画像を描けなくなっているからである。
いつか来た道は、意匠を変えて同じ道をゆくのである。

ともあれ好意的評価を寄せてくれた方々にのみ感謝!