5月3日は憲法記念日。
同時に母の誕生日である。91才、パーキンソン病で介護施設に入って数年になる。頭だけは全く明晰、衰えは全く感じさせない。
母のことを書いておこうと思ったのは、ツイッターでちょっとしたエピソードを披露したところ、若い人たちから質問やリツイートが多くあり、全く想像していなかったのだが、興味を引いたようだ。
母が繰り返し語ってくれたエピソードは、女学校時代のできごと。
天皇陛下のお召列車が田舎町の駅を通過する折、敬意を表するため近隣の学校の生徒が動員された。
駅に整列され、通過中お辞儀をして迎えるのだ。
この時母は、最前列から最後列に回され、眼の付きにくい位置に指定された。
理由は、母ひとりがズック靴だったため。貧しい母は革靴などない。
卒業まで首席を通した母には余程屈辱だったのだろう。
列車であっという間に通ってしまうのに、天皇陛下がいちいちみてるわけないじゃない、と悔しそうに誰にともなく抗議を最後には付け加えるのだ。
母は大正11年生まれだから、おそらく昭和14か15年の開戦直前のころだろう。
この片田舎の女学生の屈辱のエピソードは、戦中の過酷な事件や悲惨さに比べるとたいしたことはないのだが、多感な少女には生涯傷となった。
母の青春の屈辱感は、ファシズムの足音とともにやってきて、戦争が終わっても何十年も生涯にわたって傷となって残ったといえる。
ガブリエル・タルドが言うように、ファシズムの兆候などはこうした末端の些細な庶民の動向の内にまずもって現れるのである。
このエピソードに関して、右翼的影響にそまった若い女性から質問がきて、母親は、その場にいたくなかったのかそれとも天皇そのものを嫌悪したのかと問う。
何度かのやり取りがあったが、次のように応えると勉強になったと丁寧な返礼があった。
1.母の嫌悪は、天皇を担いで、威張りくさった教師、軍人、町内会長などの 職場や地域のエリートに対してである。
2.「一君万民」は理念であって、現実のファシズム社会は下への抑圧と差別
が常態化した。標語理念が失効し、天皇の下に万民が平等にならなかった 史実に向き合うことが大事で、理念を唱え続けることではない。
3.天皇と天皇制は分けて考える必要がある。ひとを序列化し差別し暴力的に 威張るひとは、天皇制論者。
社会システムとして社会に天皇を制度的にもちこめば、論理的にひとの序 列化をし、ひとつの価値観だけを強要するから社会の自由度は制限され るし、事実戦前はそうなった。
4.天皇家については、国民がとやかくいう段階は過ぎた。天皇家自身の自発 性に任せるのがよい。
今の象徴天皇がいいのか、人権を確保してくれというのか、それは天皇家 の行く末を決めさせるということでよいのではないか。政治的絶対王権を よこせという皇族はまずいないだろうということ。
5.天皇はもともと宗教的権力であった。チベットのダライラマと同様古代ア ジアに普遍的にみられた生き神さま信仰なのである。近代化に急遽政治権 力を付与されたが、統治理論は即席で杜撰なものだった。
その破綻が敗戦。したがって、もう一度宗教者としての位置づけがいいの ではないかと私は思っている。
ざっとこんな話をしました。
蛇足ですが、以上から、自民党の「天皇を元首とする」憲法改定案は、歴史の失敗と進化を全く考慮しない明治憲法に後退する案だといっていいでしょう。