図書館職員の説明が納得できない、独善的ではないのか?

図書館とは何か、
疑問がいつも出て、豊中図書館員と話すといつも後味が悪い。
一冊もったいないから、新品本を寄贈したいが、蔵書がだぶるといけないからちょっと調べてほしい、というとこのような答えが返ってきた。
受け取りますが、不要なら廃棄処分しますのでそれを前提に持ってきてくださいと。
いや廃棄がもったいないから、まず受け取って蔵書にしてくれるか書名をいうので確認してほしいと。
いやどうするかはこちらの判断になります。
だから捨てられるなら自分で捨てる、大量に持ち込んで選別してくれといっているわけではなく、一冊なのになぜチェックできないのだ?

すると上司に代わって、「では書名を言ってください」、

(なんや、言い張っていたことはなんだったんだ)
「あー蔵書にないですね、
2015年の本で、その時点で購入しないという判断してますから受け取れません」、

というのだった。
5年前に一度判断したら、永久決定か?
読まれてない古い本を引っこ抜いて、いい本だから新たに加えるということはしないのだな、
しかも全発行書籍を確認しているのか?
(そんなことが限られた職員で可能なのかいぶかるのだが)
とにかく判断されているので受け取れない、とのことだ。


毎度思うが、誰がどういう資格で、購入本を決めているのだろうか?
内部の選定委員とか以前きいたが、市民の読書傾向をどう把握しているのか?
事実、借りたい本を検索するのだが、なかなか無い。あっても昔の本で、改訂版の補筆や新しい解説を読みたくてもそういうものは無い。
職員と話すと、いつも後味の悪いものが残る。
大体、当編集室の『奔』を置いてくれない、
理由は新しいので、判定基準を満たさない、らしい。
同人誌でも古いものは読者がいるということだから置く、というのだ。
新しくても、参考になれば読者はつくだろう。

同人誌など決まった少数の人が読み、かつメンバーは自分のものは手にできる仕組みになっている。図書館閲覧はアピールの意味が大きく、市民閲読者より同人誌優先を認めているのだ。

『奔』などは批評誌だから、不特定多数に閲読してもらうには商業誌でもないから、図書館などがうってつけなのだが、特性をまったく見ようとしない。

まあ古いものを入れ替えるのは、職員も言い訳に苦しいのだろうか、そういうレベルなのか?


言ってることが、どうも独善的で理解に苦しむ。
限られた設備でやりくりしないといけない苦労はわかるが、
説明や決め事が納得できない。