岸田新内閣の閣僚人事が発表された。
相変わらずの変態チックな顔ぶれだが、
萩生田と二之湯を外したのは、評価できるだろう。
自民党人事などには関心も希望もないから、どうでもよい。
問題の本質は、国民がどこまで安倍を中心にヘドロ化した人脈を排除できるのか、飽きっぽい日本人がどこまで追い続けることがどきるのか、それにかかっている。
事件発生直後、統一教会の情報を提供したことで鈴木氏に全マスコミ、評論家が依存した。
いち早く鈴木氏には、身辺警護の強化をメールでアドバイス。
彼は丁寧に返信してきて、住所も関係先もすべて把握されているとのことで、再度警察に御願いに行ってきますと述べていた。
TVの彼は、若い頃のカミソリのような鋭さと相応の年齢に達したことを知らせて、ジャーナリストらしい風格を漂わせていた。
それにしても山上徹也の頭の良さ、怨念の強さ、強固の意志力、改めて内閣改造まで激震を走らせたことは、テロリストとしてみごとであった。
一部リベラル派が、何を狙ったのか、盛んにこれはただの怨恨で、政治テロではないと、テレ朝なみの隠ぺいをまくしたてていた。
韓鶴子を倒しただけなら、これほど国民の嫌悪を呼び起こさなかっただろうし、アホリベラルが韓国蔑視だとか言い出しかねなかった。
山上徹也の勘は天下一品、テロリストの好きな私には彼から目が離せないのである。
そう、句友であった大道寺将司との晩年の獄中交流は、いまでも私の至福の時間であり続けている。そして拙著『俳句のアジール』を臨終間際に読み切って、枕元に置いたまま旅立ったことは永遠とは何かを教えてくれたように思う。
頭の良い山上も獄中で俳句や文章を書いて、弛緩しきった私たちに刃を向けて欲しいものだ。