異次元緩和「解体」の始まり 黒田日銀を早く降ろすべきだ

異次元緩和「解体」の始まり 黒田日銀、問われる有終の美

金融政策・市場エディター 大塚節雄

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任期切れが迫る日銀の黒田東彦総裁㊨は何を残すのか

日銀20日長期金利目標の上限を0.5%に引き上げることを決め、「異次元緩和」の解体への動きを印象づけた。黒田東彦総裁は「明らかに金融緩和の効果を阻害する」とした持論を翻し、変動幅拡大は「利上げではない」と強調した。だが正常化の備えと捉えた市場の動きは止まりそうにない。金融緩和の旗を降ろしたくない黒田日銀は国債買い入れを大きく増やすとうたったが、上限突破をめざす債券売りを食い止める「防戦」という消極的な色彩も帯びる。

たそがれの異次元緩和。2023年4月に任期切れが迫る黒田氏にとって、初期の大成功を含め、10年近く続いた緩和スキームの瓦解を受け入れるのは容易ではないだろう。だが、どんどん複雑になった現行の緩和の仕組みは急激な円安など様々なきしみを生み、賃金上昇と併存する緩やかな物価上昇に向けた国民の理解を得るうえで、むしろ障害になっている。黒田氏は最後の任務を、シンプルで頑健な金融政策の枠組みへの橋渡しだと見定めるべきではないか。

日銀は16年以降、短期金利の誘導目標をマイナス0.1%程度に据えるとともに、期間10年の長期国債利回り長期金利)の誘導目標を0%程度にしてきた。これがイールドカーブ・コントロール(YCC)と呼ぶ現状の緩和政策の基本的な姿だ。

これまで長期金利については上下0.25%ずつの範囲で変動することを許容してきた。今回、変動幅を一気に上下0.5%ずつに広げた。従来も長期金利が0.25%の上限近くに張りつくことも多かったので、上限引き上げは「事実上の利上げ」といえる。

今回の見直しを額面どおりに解釈すれば、過去の微修正と同じような異次元緩和の延命措置という見方も可能だ。国債の買い増しは「量的緩和」の拡大ともいえ、金融緩和への強いこだわりを映した。日銀自身も「金融緩和の持続性を高める」と位置づけた。

だが、高インフレを受けた世界的な利上げの波にあおられ、日本にも金利上昇圧力が波及した。ここに来て日本でも消費者物価の上昇圧力が明確になり、金融政策の正常化を巡る観測が強まっていた。費用対効果の面からは、長期金利を低く抑えつける意味は急速に薄れ、副作用が目立つようになった。今回の措置を機に、本格的な政策見直しに向けた議論は加速する可能性が高い。日銀が強調するYCCの「持続性を高める」効果も、新スキームまでの「時間稼ぎ」といえるかもしれない。

日銀自身が挙げた副作用は、社債発行などの企業の資金調達環境の悪化リスクだ。市中金利を年限ごとに並べたイールドカーブをみると、10年前後だけがYCCで不自然に凹(へこ)んでいる。そのことが企業の年限ごとの社債利回りに不要な断絶を生み、企業の資金調達をかく乱している。黒田氏も社債について「今のところ量的には十分発行されているようだが、たとえば(期間)10年の社債を避けるとか、いろいろな影響が出つつある」と認めた。

もう一つ、黒田氏は明示しなかったが、債券相場の動きをむりやり止める分、外国為替相場の変動を大きくする副作用もやはり無視できない。春から夏にかけて円安が進んだのも、長期金利を低く抑えたことで、利上げを進める米国などとの内外金利差が広がりやすくなった面は否定できない。日銀は海外投資家の債券売りを力ずくで制圧する「局地戦」を展開し、海外勢を円売りに走らせる誘因をつくった。海外勢に敗北を喫した構図をつくりたくない日銀にとって、最近の円安一服は修正のチャンスだった。

長い目で考えれば、財政規律の問題も絡んでくる。日銀の国債購入はむしろ現行の月7.3兆円から月9兆円程度へと膨らむ。ここに無制限に買う「指し値オペ」と呼ぶ国債購入も加わる。日銀の国債買いが財政を支える構図は変わらない。だが金利が上がれば、やがて政府の利払い負担は高まる。日銀にとって運用利回りが高まることは一部で危惧された財務悪化のリスクを和らげることになる。それとは裏腹に、政府は厳しい財政運営を迫られる。

黒田氏は見直しの効用について、自分の言葉で語ろうとはしなかった。多少のバリエーションはあったものの、「今回の措置により、YCCを起点とする金融緩和の効果が、企業収益などを通じて、より円滑に波及していく」とする公式文書の域を出なかった。本音では見直しを避けたかったのではないか。そんな邪推すらしたくなる。

日銀の事務方はすでに「ポスト黒田」に目を向けている可能性が高い。最近では総裁交代にあわせ、政府と日銀が「できるだけ早期の2%インフレ目標の達成」に向けて合意した13年1月の共同声明を巡る見直し論も浮上している。来春にかけて正常化の思惑が高まり、金利上昇圧力が一段と高まるのは必至だった。それに先駆けて動き、各方面の副作用が深刻になる金利0.25%での国債の大量買いを回避する狙いがあったのではないか。

YCCはもともと異次元緩和の「敗走」の産物でもある。黒田日銀が当初掲げた「2年で2%の物価上昇」に失敗すると、短期決戦を前提にした「量」の急激な拡大に限界がみえ始めた。日銀は16年1月、短期金利をマイナス水準に押し下げる「マイナス金利政策」への転戦を決めたが、金融機関の収益悪化懸念を呼び込む結果となり、むしろリスク回避の円高に拍車をかける場面もあった。その失敗を穴埋めするため、16年9月、新たな政策のフロンティアをやむなく「長期金利の0%誘導」に求めたのがYCCだ。

そして現在。多くの国民が値上げで苦しむ現状は、その先の賃上げに向けた希望をつなぐ「我慢の時期」といえる。YCCという枠組みは、そうした社会全体の機運を醸成していくうえで、うまく機能しているとは言いにくい。マイナス金利の対象を含め仕組みが複雑怪奇で理解が難しいだけでなく、折に触れて急激な円安などの副作用をみせたことが証左だ。

物価研究の第一人者で「慢性デフレ」を巡り後期の黒田緩和の理論的な支柱にもなった東京大学の渡辺努教授も、賃金と物価の緩やかな好循環をめざすうえで「YCCの細部を議論する意味は薄い」と指摘する。「国民が求めているのは、物価高ではなく賃金上昇。そのメッセージを政府とともにどう打ち出していくかが重要」と説く。

黒田氏の任期切れまで、あと3カ月半ほど。新体制への移行を待たず、もっとシンプルな金融政策の枠組みづくりに向け、望ましいスキームや政府との協調のあり方を白地から設計する覚悟が求められる。YCCの解体を告げる今回の動きをその兆しだとみれば、先行きの金融政策のあり方に希望も持てる。多少の市場の混乱も異次元緩和の軟着陸に向けた一時的な「痛み」だと捉えることもできるだろう。