木村真さん当選!! 映画『ロストケア』を観てきましたーなかな重いテーマでした。

木村真さんが当選しました。投票獲得数では確か4番目くらいです。
皆様のご支援に、木村さんも丁寧にお礼を仰っていました。
ありがとうございました。
これから4年間今まで通り頑張って欲しいものです。
なお、維新の会が9議席、2増となり、私は危機感を持っています。
木村さんとともに注視していこうと思っています。
以上ご報告まで。
 
『ロストケア』を観ました。
前田哲監督の作品は初めてでしたが、経歴をみると伊丹十三大森一樹崔洋一などの助監督をしてきただけあり、なかなかいい出来でした。映画としての出来不出来は、横へ置いておきましょう。
老人介護の現場の葛藤から、人間の命について、さらに重要なのは倫理の問題です。
 主人公(松山ケンイチ)は、父の介護から貧困に転落、愛するちちの要求で嘱託殺人を経歴にもつ。
主人公は、介護職について、41人の殺人を数年間の間になしとげた。
主人公の主張は、
父も生を絶つことを自ら望んだ。
介護家族を解放する点で、これは双方にメリットがある、ゆえに希望をかなえ周囲の人びとの地獄の生活から救出する点で何ら悪事ではない、と主張するのでした。
これは障害者への意思疎通のできなくなった「ゴミは消せ」という植松とは状況は異なっていますが、認知症家族という意思疎通がしにくくなった患者の家族にとっては、本音のところで共感を呼ぶ面があるでしょう。
事実、主人公の殺人で助かったと述懐する家族がいて、あるいは子供のためにはもう介護が桎梏となっていたので生活限界で本当に助かったと。
制度面の不備や、生活保護の受給の困難さなど、政治社会面の直接的問題もありますが、それらは論じやすいでしょう。
私が別に最後まで答えをだしにくいと問題としたのは、
主人公の主張する聖書の「黄金律」ないしはカントの「定言命法」です。
主人公が父親との共同作業で犯した殺人は、聖書にあるように相手が望むように自らがなすことだ、それは真理であると検事に主張し、無罪を主張する点です。相手が思うようにそのことをなせとしたカントの近代的倫理の心理は、なかなか異議申し立てることはむつかしいでしょう。
主人公の唯一の違反は、父親とは異なって相手老人の希望を聞いていない点です。盗聴器で介護家族の葛藤を隠密裏に聞き取り主観的に判断している点です。
あくまで父親の願いにダブってしまう心情でしょう。それほど父を愛していたとも捉えられます。
主観として、本人が正義だと思いいたったならば、誰も説得しえない真理でもあります。本人の正義、まして殺害される老人も家族も望んでおり、検事のいうそれぞれの家族には他人の入り込めない絆があるのに、あなたにそれを切り裂く権利などありはしないと述べるがどこか虚しくきこえます。
主人公にすれば安全地帯にいるあなたのような人間にはわからないことだと、正義の探究を拒絶してしまいます。
あるいはそんなことはセンチメンタリティーでしかないとも聞こえます。
前田監督は、この検事とのやり取りをクライマックスとして観客を犯人主人公へ一気に共感の涙へ引きずり込みます。
そして終章で、検事(長澤まさみ)が、拘置所を面会に訪れ告白するのでした。
わたしも父親を実は殺していた。
父親が会いたいと連絡してきたとき両親離婚後の長い別離から、素直に会えなくて無視した。三ヵ月後に孤独死させてしまった。
わたしが殺したも同然ですと告白。
これはちょっと飛躍があるなと思ったが、もう犯人の黄金律にやられた観客は、ひこには気が付かないくらい動揺していたはずです。
さて、みなさんはここをどう乗れ超えるか。
いま一つは、ここ2年ほど隠れたテーマにしてきた、
精神病者への国民的虐待人権無視です。
マザー・テレサによれば、「愛の反対は憎しみではなく無関心」のことだとのべているが、世界一過酷な精神病院に閉じ込められ、人権抑圧をされている精神病患者は、国民同胞の愛を喪失させられています。
わたしたち関西現象学研究会は、近代の人権概念の陥穽が根底にある、との見解から近代の人間観の根底的転倒を試みようとしています。
未だ決定的な論理構築には至っていませんが、少なくとも哲学的転回、それも現象学からしか切開できないものと思っています。
簡単ですが、メモとして、多くのみなさんに鑑賞をお薦めし、ご意見を訊きたいと思います。
(Facebookより転載)