「九条保守」から「九条インターナショナル」へ❣

完全に、言論界は混乱し分断されてきている。
世界は悲惨だが、私はやっと日本言論をみてニヤニヤワクワクしている。
ウクライナ戦争で、ロシア擁護をしてきた若い連中が、パレスチナ戦争をみてとうとう周辺国は協調して軍を組織し、VSイスラエル戦に入るべきだと言い出していた。
ロシアを擁護するのもイスラエルを糾弾するのも、根拠は反米なのだ。
ウクライナ人へのロシアのジェノサイドと、パレスチナ人へのイスラエルのジェノサイドとどう違うのだ。
こんな単純な矛盾を、反米スタンスなら許されるという日本反政府反権力派は深刻な顔して宣うのだ。
知る限り矛盾のないのは佐藤優鈴木宗男くらいのものだ。
佐藤はロシア擁護、今回はイスラエル支持だが、厳密には支持と言うより、西側が原因を作ってきたという言い方なのだが、ではなぜ西側が世界の中で原因を作ることができたのか、までは思考が届いていない。反米反日本政府のはずがイスラエル支持だから、この矛盾を意にかけない佐藤は「立派」である。
話を戻すと、若いリベラル派が言い出していることはどういうことか。
私が長く考えてきたなかではダメな考えである。
間違えではないが、それは戦争の拡大と連鎖を止められない。
時間がないので結論だけ言っとけば、人類史上国際平和の方法については、カントかヘーゲルを精査し、現実的に超えていく方法しかないのである。
即ち、カントの言う、戦争の度に反省し、国際諸国は高次の平和条約を護ること。また、諸国は国軍を廃棄し、「統制的理念」にとって永続的恒久平和を達成していくしかないのだ。
若いリベラル派の言う話は、カントを少しかすっているが、思考が浅い。
ヘーゲルは、カント批判をしてこう言う。
戦争が起きたら、いくら国際法や平和条約があっても収拾がつかない。なぜか、違反する国家を懲罰することができないからだ。実効性のあるためには、超国家=帝国が必要であり、それが現実的に戦争を抑止するのであると。
ヘーゲルは、ナポレオンがフランス革命の防衛戦を支持し、ナポレオンの姿を見て歓喜した。近代社会の到来の時期に在ったためだ。
さて、どちらが原理的にいいのか。
私は、カントに妥当性を見ている。
帝国の時代は、確かに歴史的に秩序は保たれた。米国とソ連の二大帝国時代は世界大戦は回避できた。しかしご承知のように、帝国が諸国を侵略し抑圧した。
これは決して世界平和とは言えまい。
飛躍するが、端折ってい私の構想はを言えば、このようのなる。
基本はカントの恒久平和論。
しかしヘーゲルのいう約定を破る国家の統制をどうするか。
これは、米国とソ連ーロシアの横暴を国連もどうすることもできない事実として、指摘は重い。
夫々の欠落を克服するには、(国連改革の全体像は当然だがここでは横に置いておく)、国連軍の創出である。
安保理常任理事国の解体とセットである。
この実現には、戦争でしか和平の枠組みが作れない人類史の段階では、何度でも戦争は覚悟せざるを得ない。
永続革命論として、カントの「統制理念」は今でも妥当だ。
従って、「憲法を守る」から「9条インターナショナル」への戦略転換がリベラル派には必用なのだ。
専門家は、笑うだろう。専門家でもない無名の者が寝言を言ってるのかと。
しかし今の国連憲章と9条はひと続きのものであることは、原案やそのダンバートンオークス会議での原案や指導者たちの主旨をみれば、よく分かる。
いま紛争の渦中にいる米国、英国、ソ連ーロシアが自国野心と同時に戦争の悲惨を実感してもいたはずだ。
その当事国が、再び紛争を許している。とてもヘーゲル方式ではもたない。
なお「9条インターナショナル」方式は、最近知ったのだが、すでに世界の精神医療人権運動には存在し、精神医療の人権推進の大運動となっているのだ。私はアッと声をあげて驚いた。なるほどな、切羽詰まった人たちは、すでに「世界市民」として連帯していたのだ。
日本のファッション的人権派は知りもしないだろう。
DPI(Disabled Peoples' International)日本会議が日本支部であり、本部はカナダに置かれている。
戦後の被害者意識でしか成り立たせてこなかった(効果がなかったこともないが)「守る」論理に欠落しているものは、「諸国民の信頼に委ねる」という宣言を戦略に繰り込めていなかったことだ。
国連憲章と9条の宣言は、冷戦によって頓挫したが、世界の諸国の交戦権の国連委託を基本構想にしていたことを、再度想起することだ。
まだ遅くはない。
*書きなぐったので、いずれ論稿にしたいと思っています。
内容が部分的に論じられているものに拙著『日米安保と沖縄コメンタール』(批評誌『奔』2号、2019年)があります。