「中央公論3月号」は面白い。
『小沢と金と民主党』特集である。
これはみんなが読んだ頃に批評していこうと思う。
今回は、毎回参考にしているのは「時評2010」の浜矩子さんの論評だ。浜さんのあの魔女のような顔がいい。サディスティックな責めに徹した筆法はぞくぞくする。
オバマ大統領が、ボルカールールなるものを打ち出した。
ボルカーとは、あのやり手のボルカー元FRB議長。現在オバマの経済顧問。彼が提案したのでオバマがこうよんでいる。
要するに金融工学の果てに起きたリーマンブラザーズなどの金融崩壊を点検して、今後の金融政策の大胆な改革を実施しようとするものである。
以下浜さんからの論考をまとめるてみる。
1.商業銀行(普通にいう銀行)は、ヘッジファドや投資銀行を所有したり、それらに出資したりしない。
(反対意見)崩壊は、商業銀行のギャンブル癖が引き起こしたものではない。なのに彼らを取り締まり強化するのはお門違いだ。
2.商業銀行は、自己勘定(自分のお金)でリスクを伴う投資を行ってはならない。
(反対意見)商業銀行の自己勘定取引を禁止するといっても、実際問題として、彼らの取引のどこまでが顧客指図によるもで、どこからが自己裁量行動なのかいかにして識別するのか。
ファンドの所有を禁じるといっても、抜け道はいくらでもあるだろう。
3.商業銀行か投資銀行(預金業務のない投資専門バンク)かの業態を問わず、すべての金融機関の負債総額に上限を設ける。
(反対意見)金融機関の巨大化を防ぐといっても、そもそも、大きすぎるとはどういうことなのか。
いざ具体的となれば、結局動きがとれないのではないか。
これら反対意見に対して、浜さんは全面的にオバマ=ボルガーを支持して次のように反論する。
確かに今回の事態は商業銀行のギャンブル行為が主因ではない。
だが実は問題発生後にギャンブラーたちが商業銀行に転身している。かのモルガンスタンレーとゴールドマンサックスという代表的投資銀行のコンビである。
預金という資金基盤を確保し、しかもいざという時に中央銀行融資が得られることを狙っての大胆不敵な変身だった。
ほとぼりか冷めたところで、彼らが今度は商業銀行の看板を掲げた状態で、またもや、ギャンブルに出ては、かなわない。それを封じ込めるためには、今回の措置は有効だ。
この案が通れば、ギャンブラーたちは商業銀行の看板を下ろすか、ギャンブラーを止めるか、いずれかを迫られる。ギャンブラーたちは、商業銀行化することで、さぞや、打出の小槌も兼ねたスグレモノの隠れ蓑を手に入れたとほくそ笑んでだことだろう。
そうは問屋が卸さないというのが、今回の提案だ。
原則論がしっかれしていれば、全くの実行不可能状態に陥るとは考えにくい。
日本では、コレだけの社会的歪をうみ、中間層の分解をもたらしたにも拘わらず、相変わらず竹中やその一派が跋扈している。
反省もシステムの点検もなく、うやむやのままである。
あまりにも日本的すぎる。
アメリカは相変わらず市場主義ではあるが、ゆき過ぎたときのバランス感覚と、健全な資本主義の維持のためには大胆な政策を採用するするところは腐ってもアメリカと言わざるをえない。
また単純に、政府の経済への介入はすべきではない、などと通りのいい言葉を弄んでいる日本の新自由主義者(民主党内にもいる修正新自由主義者)は、こういうところこそアメリカを見習え。
一度たりとも、政府が経済に介入し、政治の裏づけなしに経済政策が成功したためしなどはないのだ。