■追悼−故大橋彦左衛門氏(愛由等氏ご尊父)、俳人故山田弘子女史(『円虹』主宰)

MIXIで主宰している「waiwai俳句会」のトピックを修正再掲示したものです。

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昨日2月10日は、昼間葬式、夜は通夜とたいへんでした。

昼間は、神戸の詩文学の活動の拠点になってきたスペイン料理店「カルメン」オーナーの大橋彦左衛門氏のご葬儀。享年84歳。
豈同人(俳句)で、めらんじゅ同人(詩)の大橋愛由等氏のご尊父である。

愛由等氏は南方文化研究、講師、ラジオパーソナリティとマルチタレントであり、わたしの句集の編集者でもある。

わたしのサラリーマンの初任地が神戸であったため、しばしば「カルメン」へは出入りしていた。近くにある「バラライカ」というロシア料理店とともに大事な知人が神戸に来ると案内したものである。いかにも神戸の香のたつハイセンスなレストランであった。

そういう意味で、「カルメン」はわたしの青春の一景場を作っており、従って30年以上前から彦左衛門氏の顔は知悉していたことになる。


かといって、このひとがまぎれもなく彦左衛門氏であるというほど強固に印象を留めていたというわけでもない。愛由等氏との出会いがあって、えっ「カルメンのマスター」の息子かという小さな驚きとともに、30年近くを経て記憶が繋がったというところが本当のところだ。

式場で頂いた追悼パンフで知る限りでは、博覧強記のひとであったようだ。著作が数冊あり、エッセイもいい。この父親にして愛由等氏があったと謎が解けた思いである。

満州建国大学出身、学徒動員により特殊潜航艇「蛟竜」操縦員となり、広島県大竹市で8月6日朝訓練中に、原爆投下直後のきのこ雲を目撃、数日後「入市被爆」。

血統的には禿げはないのに自分だけ丸禿げになったのはこの被爆のせいだと確信していたようだ。

それにしても鼻筋の通ったご立派な眠り顔であった。ご本人の意思で神戸大学医学部へ献体された。最後まで、世の為人の為に尽力された。       

合掌。

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通夜は、「円虹」主宰山田弘子さん。

七日に脳梗塞にて急逝。

山田さんは、長くホトトギスで活躍し、伝統系俳人に括られるのだが、関西俳句クラブの会長も務め、伝統派にしては珍しく俳協、現俳協系の俳人らとも交わるオープンマインドのひとであった。よみうり文化センター神戸校講師。
年齢に似合わずお若い美しい方だった。

一月中旬に御影の高台にある瀟洒なご自宅を訪問して、五月に予定している弊社主催の「西東三鬼生誕110周年記念大会」の選者をお願いした。

開放感のある仕事部屋で、ドイツのお菓子をご馳走になった時には、快活に「円虹」のこれからを希望に満ちて語られていたのに。

帰りは自ら運転して自家用車で駅まで送ってくださったが、ハンドル捌きは僅か一月もせぬまに逝ってしまう人とは思えない確かなものだった。

ツヅラ折りの急な坂道を下りながら、眼下に夕映えの海が美しく光っていた。
山田さんに「こんな美しい場所にいると毎日5句は簡単に詠めるでしょう」と言うと、「そうもいきませんよ」と 微苦笑されたのが印象的だった。

あっけないものである。

しかし、わたしは山田さんのことをよく知っているわけではない。このときが最初で最後となった。まさに一期一会である。

そのとき頂いた「円虹」181号が手元に残されている。そのなかの『ほのと明日』12句が絶筆となった。

  花びら餅ほのとくれなゐほのと明日

  よよとくづほれし傀儡の嵩もなし

  折れるたび道細くなる冬の月

合掌。