■複数の1968年のために(全共闘運動)−四方田犬彦「『68年的』」可能性にむけて

総理大臣と官房長官全共闘活動家だったという、悪意ある捏造とデマによって、「全共闘」という戦後の政治社会文化の広範囲に一大エポックを刻んだムープメントが、劣勢の表象として貶められるばかりか、かつての活動家からも時勢便乗のなかで自嘲ぎみに揶揄する悪しき風潮が蔓延している。

やっと学究的に対象化されたと思ったら小熊英二のような極めてイデオロギッシュな噴飯ものがでてきて、これまた悪意ある未成熟な運動として貶め、事後的に解釈した実相とは似て非なるムープメントとして後続世代に「公用化」しかねない内容である。

一方体験当事者の経験主義的な特権化(特に党派の総括)による言説は欠陥を晒しているし、それら以外では少数のひとたちのものを除いて、なかなかまともな論述に出会わず不満を抱えていた。

そのなかで、図書新聞2991号,2010年11月27日版に、四方田犬彦と平沢剛の対談が載った。
四方田と平沢の編著による『1968年文化論』(毎日新聞)の出版を記念して、新宿紀伊国屋書店トークイベントの記録(10月31日)とのこと。
著作そのものを読む前に、この対談自体が68年の現在性を透視する画期的なパースペクティブを提示しているように思った。闘争を担いながら、さまざまの理由で沈黙をしてきた普通の学生たちを視野にとらえた「正史」への期待である。

四方田は団塊の世代よりわずかに下で、この世代は「政」のあとの空白時期を大学時代としたため、被害者意識から全共闘世代を毛嫌いするタイプが多いのだが、政治的側面だけでなくひろく文化論として正当に対象化しようとする稀有な良質な評論家である。

対談が実にまっとうなものなので、忘備録がわりに採り上げ、ひろく読者の眼に触れることを望む。
じつに方法論として正当で、かつ対象の取り扱い方法に納得できる。
方法論においては、小熊英二への批判ともなっており、貴重な対談となっている。わたしの待望していたものがやっとでてきたな、という感想だ。

平沢剛は編集の位置づけを、世界性の中で把握しようとしたと述べる。
68年から40年が経過した2008年頃から、世界各地で当時の再評価の動きがあり、シンポジウムやイベントが企画された。日本では少し遅れて2009年あたりから盛り上がってきた。だが、平沢は「68年は大きな主題ではあったが、固定化された解釈を避けるため敢えて68年という用語を使ってこなかった」という。さまざまな文脈から「政治的、文化的な転換点としての68年という認識が徐々にではあるが定着してきたため、68年という共通認識によって、多様な議論が可能になってきた」と前提を語っている。

対談四方田犬彦×平沢剛『1968年文化論』をめぐって
【「68年的」な理論と実践の捉え返し】
平沢
(前略)他方で、小熊英二氏の『1968』という本が出て、より一般的にも注目され始めた。この本は、新しい68年再検証にいちづけられ、それによって評価されてもいるようですが、実際には、68年ブームを論壇的に当て込みながら、その可能性を否定するという修正主義的意図で貫かれているものです。

68年という出来事を、一冊の書物や一つの言説によって語り、表象代行できると考えること自体、極めて反68年的な態度ですが、当事者を含め、この本が歴史的な機能を持つものだと錯覚し、広く定着してしまった感がある。

しかし、いま、68年を問い直すうえで、重要なのは、これまで語られてこなかった、検証されてこなかった同時代の政治、文化状況を捉え返し、「複数の68年」を浮かび上がらせることです。

ですから、68年のの議論の盛り上がりを受けながら、それと同時にその可能性を政治的に切り縮めようとするあらゆる潮流への対抗として、『1968年文化論』を出したかったわけです。もちろん、その内容は、いわゆる大文字の文化論の論集ではなく、「文化」論であり、反文化論であり、反芸術論が集められています。

四方田
「複数」という話ですが、例えば日本であれば、シベリア抑留の体験、敗戦の体験、あるいは軍隊に行った体験、こうしたことは誰かが一冊の決定的な本をだしたから済むようなものではない。
もっと言えば、戦争体験なんて本にして事足りるのではなくて、親が子に伝えるものです。口移しで伝えるようなこと。みんな生きられた体験であり、生きられた屈辱なのです。

68年にもいろいろな立場の人がいたでしょう。しかし、みんなゆるがせにできない固有の声を持っていた。小さいツブツブノの声。それを声にして出す機会がないだけです。
そういう権力から疎外された声の次元がある。

しかし進歩的なメディアにいつも出てくる上野千鶴子姜尚中(カンサンジュン)のような著名文化人がいたりして。そういう人が体験を語り、また小熊某のような官僚的な社会学者が厚い本を出したりする。そういうヴァナキュラー(偏在的な訛りのような言葉)な、特権化された声の次元がある。

そして最後に教科書に載り、国家が承認するような公式的な歴史があります。つまり歴史の記憶には三段階あるわけです。

 小熊の書物の結論は、「68年の全共闘運動は、稚拙で未熟なものであった」というものです。海外のことも知らずに孤立して、無意味で不毛な運動であった、と。この結論に賛成か反対かはいろいろあるでしょう。

しかし、私の危惧するのは、ヴァナキュラーな声だけを粗雑にかき集めて構成され、社会学という学問の枠組みに庇護されたこうした特権的な「声」が、放っておくと公式的な声になりかわってしまうことです。将来的には1968年を直接しらない若い世代が教科書のように読んでしまう。
しかし68年の人々の様々な体験を一行で片付けてしまっていいのだろうか。それは社会学という知識の制度によって行われる暴力ではないだろうか。
いま60歳を過ぎて、当時は言えなかったけど、これだけはどうしても後世に伝えておきたいという固有の体験を持っている人は沢山いると思います。

もしかしたら活字にする価値はないかもしれないと自分では思っていても、その人にとってはかけがえのない体験をもっているはずだ。つまり無名の人間のになってきた68年の記憶がある。しかし小熊は彼らの誰一人の声にも耳を貸さず、文献資料を恣意的にモンタージュすることで、虚偽の書物を作り上げました。しかしタテカン(スローガンを書いた立て板看板のこと)に特異なゲバ字という字体で文章を書くとか、それが党派によって変わってくるとか、そういうことが実は68年の本当の体験なのではないだろうか。それを肉声でもってキチンと残すべきだというのが、私の基本的な考えです。

そして小熊の基本姿勢についてですが、68年の問題を論じるにあたって文化面への言及は必要な範囲に抑えると書いている。要するに文意に沿わないものは無視するという態度です。
当時の文化の中心にいたのは戦中派の世代で、団塊の世代の若者ではなかったからだというのが、その理由です。

だから小熊の本には大島渚足立正生も浅川マキも出てきません。これで68年の日本人の体験が語れるのか。政治と文化を切り離すところに私は危険なものを感じます。
かつて政治と文化を切り離した人たちがいました。1933年以降のナチス時代における文化官僚たちです。

1920年代のワイマール文化はユダヤ人の退廃的なもので、真のドイツ的な文化ではない。だから切り捨てるし論じないんだという姿勢を、彼らは強引にとりました。
ワイマール文化は神話であったからそれは脱神話化しなければならないと。

小熊も似たことを言っています。
68年の「文化革命」なるものは神話であって、それは後年に神話化された面が大きいと。私は、68年当時に生きていなかったのならそれを論じてはいけなどと言いたいのではありません。自分は遅れてきた事後性の内にある。だからといって過去のことをゼロにしていい、あるいは「過去は神話だ」と一言で言っていいののか。これはやはり官僚的な暴力ではないでしょうか。

平沢
40年という時間の経過によって、68年という出来事が、学問の対象になることは当然あるでしょう。それによってみえてくる側面もあるはずです。しかし、現代の日本は、運動的な衰退が著しいなかで、現場の経験とはまったくかけ離れたかたちで、「学問」的なものとしてだけ、それが出てきているという大きな問題があります。

政治的運動的な緊張感を喪失し、68年をただの研究対象としてのみ捉える悪しき姿勢です。各地の68年再検証は、シアトル−ジェノバ以降の現在の運動と無縁ではありません。もちろんすべてがそうとは言えませんし、逆に68年の特権化による脱政治に対して、現在の運動の側からの歴史的、理論的な批判も少なくない。

しかし、日本ではそうした関係性がまったく薄れ、それによって官僚的な修正主義も助長されてしまうわけです。
これは特定の個人や学問分野に限ったことではなく、全体的な状況の問題だと言えるでしょう。

しかし、他方で、それ以前になされてきた68年への言及にまったく疑問がないわけではありません。全共闘運動の組織者や同時代の文化人が、政治主義的、経験主義的に語ってきた弊害は少なくありません。もちろん、68年は戦後史なかで特異な出来事であったことは疑いようもない。

しかし、そこで展開されてきた実践や理論は、現在の日本や世界のなかで普遍的に捉え返されてこそ、その継承に繋がるにもかかわらず、自らの経験のみを特権化する傾向が非常に強い。
運動の大規模な戦闘性から考えると、特権化も当然ではありますが、しかし、現在の欧州では同様な規模の運動が日々展開されていますし、大学占拠も日常的です。

東アジアでも、韓国の民主化闘争を挙げるまでもなく、さまざまの運動が生起してきたし現在もしている。そうした現在性のなかで、68年を捉える視点があったかと問うならば難しいといわざるを得ないでしょう。
ですから、修正主義的な学問的なアプローチにも、経験主義的な特権化にも距離をとるものをどう出していけるかという課題は非常に大きい。それが今回の本で試みようとしたことですし、もっと広くなされなければならないと思っています。

68年と日本で言うとき、パリの五月が想定されて、日本では68年から69年までの全共闘運動の高揚が想定されますが、もっと広い時間軸で語ってしかるべきです。
運動史的にみれば、50年代後半の新左翼(反共産党左翼)の誕生から、70年代半ばの東南アジア反日武装戦線までみることができるわけで、68年というとき、60年代を中心としてその前後数年も入るようなかたちで、広く捉え返す必要があるでしょう。それによって68年という用語が持つ本来的な可能性、「68年的」という概念を出せると思います。

もちろん、60年と68年の運動は決定的に違うわけで、その差異こそが重要だともいえますが、他方でわたしたちが議論すべきは、68年の固有性の称揚ではなく、「68年的」な実践と理論についてなのです。この観点を強調しなければ、単なる世代論に矮小化されることを避けることは難しいでしょう。

例えば海外においては、イタリアであれば77年の「熱い秋」とか、「ドイツの秋」も77年ですから、その意味では10年ぐらいのスパンで68年を語っている。


【単一のパースペクティブや一つの表象代行を拒否する】

四方田
ドイツとイタリアという二つの国の名前を出すことは重要です。日本とイタリアとドイツでは、新左翼運動が70年前半から急旋回して少数化、過激化して孤立していく。ここに共通するものは何か。

日独伊はかつての枢軸国です。この三つの国で、父親たちがファシストであったときに、その子どもたちは補償行為として爆彈闘争に向かったのです。私自身はあらゆる暴力が嫌いですが、東アジア反日武装戦線が、なぜ「東アジア」という名前を掲げたのか。それは父親の世代がアジア侵略を行なったことに対する補償行為です。あるいは罪障に対する反省行為としてです。

ですから、ある世代、ある過激派がたまたまこういうことを起こしたというだけでは、何も彼らの志を理解したことにはならない。

実をいうと団塊の世代には優秀な学者がそれほどいません。その前後の世代にはいるんですが、段階(団塊の誤植と思われる)の世代では本当にできる人は大学の外に飛び出しちゃう。
中山元氏とかね。大学の組織に残らない。残っている人は高山宏を除けば、まあ出がらしですよ(笑)。
私もまあ出がらしのさらに出がらしかもしれないけれど。団塊の世代のもっとも優秀な人たたは、学問がもはや人間を道徳的に高めないことを骨身にしみてわかっています。山本義隆なんか大学を蹴飛ばしてしまいましたよね。

今回の本で私は詩人の帷子耀(かたびらあきら)、漫画家の宮谷一彦映画作家原将人のことを書きましたが、当時、二十歳くらいの人間で、「世界は解体する。だから芸術家としての自分も作品もすべて解体されないといけない」なんていう人は、75年くらいまでで本当に自己解体してしまって、燃え尽きちゃう。

もう一人、足立正生がいます。彼はあるとき映画を放棄して無名兵士としてパレスチナへ行ったんだけど、彼だけはカムバックして映画を撮っています。
68年から72年にかけて、本当にすごい人たちが作ったものが残っていないという現状をどうにかしたいと思っています。もちろん、それと同時に無名の活動家が行なっていた数々の表現のことも残しておきたい。

平沢
映画で言えば、現在も残っている作家や作品は多々ありますが、それ以外にも無数に上映され、現在は知られていなくても同時代では誰もが話題にしていた作品も存在するし、そのなかには作家主義や映画によって映画表現それ自体を否定していたものも少なくない。ですから、どういう実験映画、アンダーグラウンド映画、ドキュメンタリー映画がどこでどのように上映され、どう評価されていたのか、作家主義、作品論的な文脈を離れて、受容を含めた検証が必要です。そのためには聴き取り調査や一次資料、二次資料をアーカイブ化していく作業が求められる。

それによって、一人の研究者や批評家が、特権的な立場から何かを称揚したり、評価するのではない方向性が見えていくのではないでしょうか。
単一のパースペクティブや一つの表象代行を拒否することが68年の可能性ですから、その研究も批評も「68年的」でなければ、68年を語ったことにはならないでしょう。もちろん同時に現在性の導入も不可欠です。

四方田
どんな人間も自分の、一つの視座しかとれません。しかし、ある一つの視座が他のものを押しつぶしてヘゲモニーとしてのし上がるところに権力構造が出てきます。今回の本では編集者2人を含めて13人が書いていますが、今回に関しては視座の統一をしなくてもいい。みんな自由に書いていただいた。綱領を決めて足並みを揃えたのではない。
現在は、複数のものを同時に出すという段階かなと思っています。

 さらに次の課題の話をしましょう。
私はこの十年間、海外にいくたびに60〜70年代に反政府運動反日運動をやった人たちに会ってきました。

例えば、『紅衛兵の時代』という本を日本語で書いた張承志がいます。精華大学付属中学でそもそも「紅衛兵」という言葉を作った男なのですが、天安門事件を機に一切の公職を降りて、現在は筆一本の生活をしている。
彼はムスリムなのですが彼と話をすると、「日本赤軍の中にイスラム教徒はどれくらいいるのか?」と訊かれる。「ゼロなんじゃないか」と答えると、「信じられない。ムスリムじゃなくてどうしてパレスチナでアラブの大儀に命まで懸けることができるのだ」と。
そして、「日本の内ゲバって何なんだ、教えてくれないか」。そう尋ねられてわたしは答えることができなかった。

あるいはタイのタマサート大学にサクセン・プラストークンという男がいて、1973年の日本製品ボイコット運動の中心人物です。その後、彼はラオスとの国境でタイ軍と数年間武装闘争をしますが、80年に恩赦によって社会復帰しました。
タイという国は面白くて、学生が大学でバリケードをはっているときに、国王が調停に乗り出してきて解決したりする。
セクサンも国王と仏教の二つだけは批判しなかったと語っています。
彼が「日本も同じ仏教の国だろう。連合赤軍にはどれくらい仏教徒がいるのか」と訊いてきたから、これも「ゼロだろう」と答えると信じられないという顔をした。

アジアの活動家たちは、日本のことに非常に関心を持っています。タイから日本の学生運動を見ると、悲惨の一語だ言っている。
私は文革だって相当きつかったと思うんだけど、紅衛兵からしてもそうだと。

日本の運動、運動の歴史というものを、日本の中でけで考えていてはいけないと思う。紅衛兵運動は68年からで、韓国は60年の李承晩内閣を倒すところから始まって、ずっと80年まて゜抑圧されながら、長い努力を重ねて民主化を勝ち取った。
それぞれに情況は違うが、この全体の構造の中で、もう一度考えないといけない。

私の同僚にイラン出身で農業経済学をやっている人がいます。彼は映画監督のアッバス・キアロスタミの高校の同級生で、一緒にテヘラン大学に入った人です。
68年に、テヘラン大学のタテカンに「パリ、東京に続け」とペルシャ語で書いてあったそうです。

そして、「パリは反米闘争ではなかった。だからわれわれイラン人は『東京に学べ』と言っていた」と聞きました。
それが79年のホメイニ革命のベースになる人たちを作ったんですね。テヘランの学生たちは、東京をみていた。しかし東京はテヘランを見つめていたでしょうか。

当時、日本人は海外に対する充分な知識がなかったかもしれないし、パリに気軽に行ける時代が来るなんて考えてなかったかもしれないし、語学力もなかったかもしれない。
しかしとりわけ学生たちは「世界同時性」を持っていたと思う。

小熊が書いたことは悪質なデマ宣伝です。現在は誰でもニューヨークでもどこでもいけますが、同時性を持っていない。。

そのあたりの齟齬を私はなんとか埋めていきたいと思っています。

 ですから、さしあたり二つのことがなされなければならない。
一つは東アジアのほかの社会での学生運動との同時性において、日本の68年問題を探求してゆくことです。
そして、もう一つは、68年の文学、演劇、映画、漫画、音楽、美術といったさまざまな文化現象についてのアンソロジーを編纂することです。
といってももうつげ義春大島渚のように、人口に膾炙したテクストを出す必要はありません。
今ではすっかり忘れられているが、その当時に意味をもっており、時代の気分を反映していたものを、有名無名を問わず掘り出して、現在の地点から照明を当てなければならない。

たとえば少なからぬ造反高校生が小説を執筆していたことは、ほとんど誰にも知られていないことですが、やはり重要です。まず6巻本ぐらいでアンソロジーを組み、ノスタルジアを越えて歴史的資料としても残るものを編纂しなければなりません。

平沢
最初に触れましたが、ここしばらく日本の68年を海外に紹介する機械が何度かありましたが、日本は、東アジアで当時唯一の「先進国」ですから、68年を経験したという特権が与えられている。しかし欧米からすると、日本にも68年があったという情報共有だけで、共通の認識によって細かい議論をするまでには至らないのが現状です。
同時代では知られていたが、現在はほとんど知られていないと言っていいでしょう。

しかし、68年という問題系で、韓国の民主化闘争まで考えるべきでしょうし、アジアの同時代での香港の蜂起もありました。
ですから、アジアとの共同作業のなかで、欧米の68年とは異なった、また日本の狭い68年論とは違った世界同時性や国際連帯を、幅の広い射程において捕らえ返し、68年を、更には68年を越えて、20世紀とは何かを検証し直すという意味においても、それらを国内外で議論していきたいですね。
(了)

[註1]( )内は管理人の注記。
[註2]参考関連ブログ
小熊英二の「1968」などへの違和感
  http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20100202/1265120742
■とうとう認知症佐々淳行-菅総理全共闘活動家というデマ         http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20101020/1287572181
■エゴイスト町村信孝クンらしい
  http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20100130/1264853357
■「明日のジョー」復刻と左右言論の劣化
  http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20090506/1241623375