やはり反維新の会陣営のオウンゴールであった-2015年大阪W府市長選挙結果

維新の会圧勝と反維新陣営の敗北は、データもマスコミから出ているようなのでここでは私的な分析と意味を述べておきたい。

事前にも開票途中にも危惧を書いたが、やはり反維新陣営は自民共産の相乗減数効果をもたらしているようだ。維新橋下の野党支持層の分断と攪乱がみごとに効果を発揮した。
自民支持層の半分が維新に流れ、公明共産各支持層なども半数以上が棄権しているようだ。

それはとりもなおさず、この野党共闘の意味を反維新陣営ー特に大阪自民党共産党が説明しきれなかった。自民と共産が共闘する合理的な意味を訴求できなかったということである。

昨日24日、想田和弘Twitterリツイートしたものを紹介しておく。なにしろ新聞もTVも見ないので、逆に本質把握を端的にできていると思っている。

今回はーというより戦後政治、すなわち利益配分型の従来の無言の枠組みが敗北したということ。その型はある意味自民共産が共闘できた基盤なのだが、その秩序は「利権」と攻撃され、空虚な改革=市場原理主義に敗北した。

したがって違う対抗的「改革」を浸透させない限り、元官僚たちが描く「都構想」に対抗できず、スローガンも弱くなる。何しろ閉塞状況では破壊衝動を上手くすくい上げる方が強い魅力をもつからだ。それを持てないと対抗候補者が尻込みして立てられないのは、今後も続くかもしれない

なぜ大阪自民と共産が共闘できるか合理的な説明をスローガンにできなかった点で、反維新陣営が何と闘っているのか自分達で十分理解していなかったことを意味している。深刻なのは、新自由主義を実は反対陣営もうすうす内面化しているため言葉が弱くなったことなのだ。

とくに自民党府知事候補のくりはら貴子氏は、敗北後、「府民が都構想を願っているようなら、今後は反対しない。見守っていく」と言う趣旨の発言をしている。
ここには新自由主義の側から大阪府の解体再編をする政策に根本的に反対しない、すなわち福祉より資本の強化によって貧富の差をも資本の活性化に利用するような合理化を否定しない、どの程度に依るのか程度の問題として考えたい、ということを意味している。
小泉政権以降、ことあるごとに大政治家や識者やマスコミが大量に垂れ流してきた結果、新自由主義マインドは政治家やリベラル派にまで、なにより府民にまで、うすうす「当然のこと」のように内面化されてしまっているのである。

戦後の利益配分型政治、格差の少ない、品位と節度のある庶民の生活を守る-そう良質な戦後の実績の上に改革を積み上げていくより、目標なき空虚な(空虚の意味は筆者の過去ブログ参照)都構想で600億円かけてわずか1億円の効果しか出ない破壊にかりたてる。
それは大阪人が好きな、ただおもろいやんけ、というだけで次世代に荒廃の大阪を引き渡すのか。

筆者は都構想にはあくまで反対である。